スロバキアで避難生活を続けるウクライナ避難民の方々のお話 ~カトリーナさん~

昨年2月にウクライナでの戦争が開始して、1年が経ちました。

国内での戦況が落ち着く様子がない中、これまで多くのウクライナの方がヨーロッパ各国に避難してきました。

その数は、800万人を超えています。

戦争が長期化する中、それらのほとんどの方がまだ国に帰ることができず、それぞれの国で、今もなお避難生活を余儀なくされています。

隣国のスロバキアでも、これまでに10万人以上のウクライナの方々が難民として保護を受けてきました。

昨年3月に避難してきたカトリーナさんもそのうちの1人です。

カトリーナさんは7才と11才の娘2人を連れて、避難列車に乗り国外へ避難しました。

避難列車とは、戦争開始後、危険地帯から住民を避難させるため、ウクライナ鉄道が臨時で運行した列車です。

カリーナさんが乗った避難列車には定員6人の個室寝台に20人ほどがぎゅうぎゅう詰めに乗り、

その状態で列車は2日間走り続けたそうです。

砲撃を避けるため、目立たないよう列車の全ての窓はブラインドが閉められ、夜は明かりをつけることもできなかったそうです。

このような車内の環境で体調を崩し倒れてしまう方もいたとか。

カトリーナさんの小さな娘2人は寝台車の上の荷物置きネットに身を縮めて座わり2日間過ごしたそうです。

避難する際、限られた荷物の中には娘たちの食べ物をたくさん詰めてきたそうですが、彼女たちは恐怖と疲労で2日間、何も口にすることはなかったそうです。

無事国境を越えた時、やっと安心したのかもの凄い勢いで食べ始めたと言っていました。

私にもカトリーナさんの娘さんと同じぐらいの年の子どもが3人います。

彼女が子供たちを連れて戦火を逃れる様子、また苦しい避難列車で過ごした2日間を自分に置き換えて想像してみたら胸が苦しくなり、言葉が出なくなってしまいました。

そんな私の様子を見たカトリーナさんが

「あなたはこんなこと想像もしちゃダメ。想像するだけで苦しいから。

あなたがこれから一生、このような経験をすることがないことを祈ります」

と仰ってくださいました。

家族を支える母親としての優しさと強さを感じました。

ウクライナでは精神科医として働いていた彼女ですが、

今はスロバキアの首都ブラチスラバのレストランで、皿洗いのアルバイトをしてなんとか日々の食費を賄っています。

ウクライナでは医師の免許があっても避難先のスロバキアでは、法律の問題や言語の壁により、
医師として働けるわけではありません。

子どもたちを支えるために必要な十分な収入を得ることができいない焦りに加え、自分の能力を活かすことができないストレスも多いと思います。

しかし、私が「今一番困っていることは何ですか?」と質問をすると、彼女はこう答えました。

「困っている事?そんなものないわ。

私はこうして今生きている。子どもたちも生きている。それだけで感謝です。」

スロバキアには、このように強くたくましく避難生活を送る母親、女性、また高齢者、子どもたちたくさんのウクライナ避難民の方がいらっしゃいます。

中には、今でも戦争体験からのトラウマや、避難生活への不安など精神的負担を抱えていらっしゃる方もいます。

これらの避難民の方々が、今後もスロバキアという新しい国で安定した生活を続けていくことができるよう、

ADRAはこれから、精神的ケアや就職相談にも力をいれ、彼らに寄り添っていきます。

カトリーナさんは、日本から思いを寄せてくださっている皆さまに大変感謝していらっしゃいました。

皆さまの温かいご支援に心より感謝いたします。

(ウクライナ緊急支援担当 馬渕純子)

ウクライナ支援特設ページはこちら

https://www.adrajpn.org/Emergency/Ukrine2022.html

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