スタッフ紹介

神様の望みを叶えるために
青木 泰樹  常務理事・事務局長

「人の役に立ち、喜んでもらえる働きをさせてください」という祈りが聞かれ、ADRAに来ました。戦争や災害、飢餓や格差が続く中、「本当に神様がいるのなら、なぜ世界にはひどい目に遭う人がこんなにいるのか」と感じる方も多いでしょう。しかし神様は、すべての人間の尊厳が守られることを誰よりも強く望んでおられます。傷ついている人、助けを必要とする人がいたら、その人のために行動する。そうすることで神様の望む世界が近づきます。皆さまとともにこの働きに取り組んでいけるよう、全力を尽くしてまいります。

ニーズに的確に応え、より良い支援を!
鈴木 昌則  エチオピア、イエメン担当

小さい頃、アジアで井戸堀りをする中田正一さんという方のドキュメンタリーを見て国際協力に興味を持ちました。青年海外協力隊を経てNGO職員になり、以来、ジンバブエやミャンマーなど各地の活動を担当してきました。ミャンマーで子どもたちの教育環境の改善に取り組んでいたとき、村人たちが通学路の補修などに金銭などの見返りなしに積極的に参加する姿がありました。その光景は長い年月が経った今も忘れられません。今後もより良い活動を探求しながら、人々の思いに的確に応えられるようがんばってまいります。

1mmでも世界を変えていきたい。
堀真希子  ネパール、アフガニスタン担当

小学生のときに、内戦中のカンボジアから女の子が転校してきて、生きるために自分の国から逃げなければならない人の存在を知りました。その後も、アジアの子どもたちと接する機会があり、まだ見ぬ世界への興味が広がり、NGO職員になってからも、さまざまな国の人たちと触れ合う中で、自分の価値観が揺さぶられ、時に壊され、世界が広がり続けています。
いつか、世界のどこに生まれてもだれもが自分の未来を自由に選択できる日が来るように、そのために1mmでも世界を変えていけるようにがんばります。

ADRAの健全運営を縁の下からしっかり支えます!
渡辺 千里  財務・総務担当

高校時代にマレーシアに井戸掘りに行きました。道路もないところにボートで渡り、テントで過ごし、現地の方と交流しました。大学卒業までに、ネパールやベトナムなどでボランティアを続けました。当時はボランティアの捉え方が今とは違い、「ボランティア活動をしてきた」という理由で一般企業の最終面接に落ちましたが、その翌年の阪神淡路大震災以降、数十年かけてボランティアの価値や関心が高まってきたことを嬉しく感じています。いろいろな課題がある中、なにか自分にもできることがあると信じて続けています。

実務とアカデミアの乖離を埋めたい
中西  イエメン担当

学生時代にバックパックで多くの国を訪問しました。中東で訪れた難民キャンプは、水の供給が週一回しかないような大変な状況にも関わらず、住民の方が、お茶、果物、手作りのお菓子で温かく迎えてくださり、別れ際にネックレスまでも頂きました。色々な世界を見るなかで、健康体に生まれ、先進国で十分な教育を受けさせてもらった自分ができることはなんだろうと考えました。
これからも、大好きな中東地域の人とかかわることができることを楽しみに、いつか実務とアカデミアの乖離を埋めるような人材になれるよう頑張ります。

地球上に少しでも笑顔を
守屋 円花  アフガニスタン、ミャンマー担当

中学生の時に米国同時多発テロが起き、アフガニスタンで「医者か先生になって、人の役に立ちたい。だけど、学校がない。」と言っていた少女を見て、学びたい人が学べる世界を作りたいと思いました。そこから教育業に携わり、被災や戦争の影響を多く受けている地域での支援がしたいと思うようになりこの仕事を選びました。天災は防げないし、人災をなくすこともすぐには難しく、心苦しい思いもありますが、そんな中でも支援を続けることで、この地球上に、少しでも笑顔が増えたら良いなと思います。

一人一人に寄り添った支援を!
三牧 晋之介  国内災害・防災減災・総務担当

もともと旅行が好きで、日本を含め世界各地を旅していました。自分が国際協力に携わるとは思っていませんでしたが、人と関わる仕事を志す中でご縁あって入職しました。九州の災害被災地域に駐在したときには、災害時の社会インフラの弱さを目の当たりにすると同時に、自力で自宅の修理をする方のたくましさや、災害が多くとも引っ越しをしない”先祖代々住んでいる土地”への強い想いを知りました。被災を乗り越えた方から「今は家でのんびり過ごしているよ」という声を聞けるとき、大きなやりがいを感じます

子供たちの良い未来のために
上田耕二  ジンバブエ担当

青年海外協力隊でタンザニアの中学校で活動していたとき、家庭環境が貧しくとも必死で勉強する子どもたちの姿を見て、何かしたいという思うようになりました。今は家族とともにジンバブエに駐在し、学校の校舎建設を進めたり、学校に通うことができない子どもたちに、教育を受けられる機会を提供できるよう活動しています。学校に通ったことがなく、遊び方さえ知らなかった12歳の子が、学習支援を通してほかの子どもたちと楽しく遊べるようになったり、卒業資格を得られたり、うれしい変化を感じながら活動しています。

一人一人に寄り添い、必要な支援を
三原 千佳  国内事業課/総務部 担当

小学生の頃から、世界で起きているいろいろなことを、自分の目で見て、肌で感じたいと考えていました。アフリカで青年海外協力隊、中学校教員を経て、ADRAの職員になり東日本大震災以降、宮城に駐在していました。震災を生き残り、地域のために尽力した方と長く交友がありましたが、その後ご逝去され、例えようのない悔しさが押し寄せました。日本でも度重なる災害が起きています。その度に声をあげられない人々がいます。お一人お一人に寄り添いながら、隠れている声を聴き、必要な支援につなげます。

様々なアプローチで支援を広げる
高橋 睦美  スロバキア・ウクライナ、バングラデシュ担当

学生時代のインド旅行で初めて途上国に触れ、異文化に興味を持ちました。NGO職員となり、様々な文化や価値観を持つ人たちと働ける楽しさを感じています。しかし、活動する中では、「もっと踏み込んだ活動ができるはず」「もっと違うアプローチができるはず」と思うことが多くあります。人々が目指す将来を、さまざまな角度から一緒に作り上げることで、違ったインパクトを残せることを、NGO職員として証明したいという思いが私の原動力です。ADRAと活動して良かったと言ってもらえるようがんばります。

自分が幸せだからこそ、誰かの幸せのためにがんばれる
永井 温子  広報・ファンドレイジング

小4のときに海外から転校生が来たことで外国に関心を持つようになりました。大学で海外ボランティアを経験し、生まれた場所、住む場所が違えば生きていられた人の命が失われていく世界の現実を知り、この世界を少しでも変えるために何かできる人になりたいと思うようになり、今に至ります。世界の現実と、自分がもっている幸せを照らし合わせて罪悪感を覚えていた時期もありますが、自分の幸せがあるからこそ、その幸せを奪われてしまった人や、その幸せをまだ知らない人のためにがんばれる。今はそう感じています。

ネパールの人々の声を拾い、現地の健康ニーズを改善したい
渡辺 陽菜  ネパール担当

小学生の時にテレビ番組で、同い年のフィリピンの女の子がゴミ山で仕事をして家族の生計を立てている様子を見て、衝撃を受けました。自分の環境と対比し、胸が苦しくなり、将来彼女のような環境に置かれている人へ、少しでも手を差し伸べられればと思うようになった。大学生で行ったネパールの孤児院ボランティアでは、問題の改善を試みましたが、施設の責任者に理解してもらえず、自分の力ではどうすることもできない憤りと無力さもあり、ネパールへ何か恩返しがしたいと心に秘めるようになった。管理栄養士×ネパール駐在員として働けることになり、子どもの頃から描いてきた夢の点と点が繋がりました。ネパールの人々の声を拾いながら、一歩先へ踏み込んでいき、ADRAでしかできない任務を果たしていきたいです。

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