戦後80年 ~スタッフのつぶやき特別編~– category –
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戦後80年 ~スタッフのつぶやき特別編~
海の青に沈む記憶 ―沖縄来訪記―
時刻は午前8時半。ハンドルを握り、見つめるフロントガラスの先には、濃緑の森が広がる。南国の長い夏の間、太陽光を存分に浴びて生い茂った樹々は、残暑に入り柔らいだ朝の陽ざしに、ほっとしているかのように見える。空は雲一つない。快晴だ。私は後続... -
戦後80年 ~スタッフのつぶやき特別編~
【戦後80年】『はだしのゲン』を通して知る戦争
誰もいないシンとした部屋の片隅で、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、霞む字を夢中で追った。 「かあちゃーん にげよう にげよう」 「いやだー いやだーっ」 「元 君江 にげろ はようにげてくれー」 「かあちゃーん あんちゃーん あつい... -
戦後80年 ~スタッフのつぶやき特別編~
【戦後80年】戦争を生き抜いた祖父母からの手紙
私はそんなにせっかちだったのか。指でびりびりに開けた封筒を見るたびに思う。受け取ってから36年。こんなに長く大切に持つのなら、時間を惜しまずハサミを取りに行けばよかった。しかし当時は、早く読みたくて仕方なかったのだ。自分の知らない戦争の... -
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【戦後80年】戦争を知らない子ども達
幼い頃習っていたモダンダンスは、童謡や歌謡曲にあわせて踊ることが多かった。その中で、私の心に強く刻まれている曲がある。 「戦争が終わって僕らは生まれた 戦争を知らずに僕らは育った おとなになって歩き始める 平和の歌をくちずさみながら 僕... -
戦後80年 ~スタッフのつぶやき特別編~
【戦後80年】父との会話
<終戦生まれの記憶> 「戦後80年について語ってくれとは言われても、その年に生まれた身だからねぇ…」 電話越しにインタビューの概要を伝えると、父は困ったような口調で応じた。 日本では終戦年として知られる1945年に、父・邦博は北海道函館市で産声を... -
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【戦後80年】どうしても訪れたいパラオ
小学5年生、地図帳を開いて日本と似ている国旗があることを発見した。以来、その旗を忘れたことはなかった。 大学2年生、海外に出てみようと思ってGoogle mapを広げるとまた同じ国旗が目に留まった。 「パラオ」である。 パラオの国旗は、青い海に浮かぶ黄... -
戦後80年 ~スタッフのつぶやき特別編~
【戦後80年】この街に遺る爪痕を辿って
原宿は今日も多くの人で賑わう。 朝から強い陽ざしが竹下通りを照らす。まるでコーヒーに入れたばかりのミルクのように、生き生きとした入道雲の間を水縹の空が顔を覗かせる。都会の喧騒に蝉が参加するにはまだ早い。ただじっと土中で出番を待ち焦がれる――... -
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【戦後80年】1995年のノーベル賞 パグウォッシュ会議 / 丸木位里・俊『烏』/杉並区のご婦人たちへ
さかのぼること30年前、ある日本人がノーベル平和賞の候補に挙げられました。1995年、ノーベル平和賞を選考するノルウェー・ノーベル委員会は、第二次世界大戦の終結から50年の節目に、後世に最も影響を与えた、その大戦に関連する出来事や取組に平和賞を... -
戦後80年 ~スタッフのつぶやき特別編~
【戦後80年】スジョンと私
胸糞が悪い。 5月末の金曜の昼過ぎ、書籍の頁をめくりながら私はつくづく、そう感じていた。反面、脳裏にスジョンと共有した数々の思い出が蘇る。 スジョンというのは、私の学生時代の友人。大学2年生の時、在籍していた国文学研究室に留学生として韓国...
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