【ウクライナ】「青の街に戻れたが、家は失った」――ドネツク州ミルノフラード出身・ヴァレリーさんの証言

ウクライナ東部・ドネツク州ミルノフラード市で暮らしていた65歳のヴァレリーさんは、戦争によって人生のすべてを失いながらも、新しい場所で生活を続けています。

住み慣れた街からの避難

ヴァレリーさんと妻は2024年、激しい砲撃が続くミルノフラードを離れざるを得ませんでした。状況は日ごとに悪化し、安全に暮らすことができる場所を求め、最終的にドニプロへ避難しました。

しかし、そこには不思議な縁もありました。ドニプロは、彼が36年以上前に鉱業大学で学んでいた “青春の街” でもあったのです。

「戦争が、私たちを若い頃に過ごした街へ戻したような気がしました」

そう語る一方で、長年築いてきた生活のすべてはミルノフラードに残されたままでした。

失われた生活

ミルノフラードには30年以上暮らしていました。家族の思い出が詰まったアパート、車庫、別荘。すべてがそこにありました。

息子もその街で生まれ、家族は幸せな日々を送っていました。

しかし現在、その家はドローン攻撃を受け、街全体にも深刻な被害が広がっています。

さらに、シヴェルスキー・ドネツ=ドンバス運河の損傷により水の供給にも大きな問題が発生しました。飲料水はトラックで運ばれ、生活用水は鉱山からくみ上げる状況が続きました。

電気や暖房の停止も頻発し、街はほとんど生活できない状態へと変わっていきました。

避難先での新しい生活

現在ヴァレリーさん夫妻は、ドニプロの賃貸住宅で暮らしています。避難の際に持ち出せたのは最低限の衣類や生活用品のみで、ほぼすべてを失いました。

「いつか帰れると信じたい気持ちはありますが、現実はあまりにも厳しいです」

そう語る彼にとって、特に大きな負担となっているのは、新しい人生をこの年齢から始めなければならないことです。

年齢とストレスの影響で健康問題も増え、医療機関での検査や治療も必要になっています。仕事を見つけることも難しく、警備員のような仕事を探そうとしても、65歳ということと今の地域の雇用状況もあり難しいといいます。

心のケア

避難民として、ヴァレリーさんたちは国からの支援や、食料・医療などの人道支援を受けています。

最近では、ADRAが実施していてる心のケアを目的とした心理サポートのセッションにも参加しました。

初めて参加したその場の雰囲気や専門家の話は、彼にとって非常に大きな意味を持つものだったといいます。

セッションでは、悲しみに飲み込まれない方法、苦しい思考にとらわれ続けない工夫、そして少しずつ日常を取り戻すための具体的なステップが紹介されました。

「小さな行動でも、心の状態を変えるきっかけになることを知りました」

ヴァレリーさんはそう振り返ります。

ADRAは、今後もこうした人々の心のケアに力を入れながら、困難な状況にある人々への支援活動を継続していきます。物資支援だけでなく、心の回復を支える取り組みを通じて、少しでも多くの人が日常を取り戻せるよう寄り添い続けます。

Photos: ©2026ADRA|ADRA Ukraine
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