
アフガニスタンの村から届いた3つの声
アフガニスタン西部ヘラート県。山と砂漠が混在するこの地域は、2023年10月の大地震のほかにも、度重なる洪水に見舞われてきました。地震・洪水という両極端の災害と厳しい自然環境が、人々の暮らしを容赦なく脅かしてきたのです。だからこそ、命を守るためには事前の備えと地域の防災力が欠かせません。しかし、日本では当たり前である防災概念も、アフガニスタンではあまり浸透していません。人々は、災害から自らを守る術を持っていなかったのです。
その中で、ADRA Japanが2024年度に行った支援プロジェクトによる防災キットの配付と地域の防災委員会の設立、そしてシェルター建設は、災害から命を守る大きな力となりました。
ここではその一端を、住民の声とともにご紹介します。
サイド・アフマドさん(ショラバク・バロチャ村)
「真夜中に突然の轟音で目が覚めると、村に押し寄せてきた水は大人の胸ほどの高さに達していました。自宅まで流れ込み壊してしまうのではないかと恐怖でいっぱいでしたが、私たちのシェルターは安全な場所にあり、受け取った防災キットのおかげで被害を最小限に抑えることができました。
また村の防災委員会の仲間たちがすぐに行動を起こし、日本の支援で届いた装備『一輪車(ネコ車)やつるはしなどを使い、洪水を逸らす抜け道』を作りました。ADRAのプロジェクトで災害時の訓練を受けていたからこそ、慌てずに対応でき、女性や子どもたちを危険にさらさずに済みました」

ホダダッド・ラフマンさん(ショラバク・バロチャ村)
「私は家族4人でこの村に30年以上住み、この土地とともに生きてきました。その分、自然の力に対する脆さも知っています。あの夜、洪水は背丈を超えるほどに迫り、家を飲み込むのではないかと震えました。しかし、防災委員会の素早い対応で、水の逃げ道を作り被害を免れました。
振り返ってみると、この防災プロジェクトは私たちの災害への考え方を根本的に変えました。“災害を恐れるだけでなく、備えることができる”という考え方を私たちに根付かせました。今では村の皆が“次に災害が来ても家族と村を守れる”という自信を持っています。

サラ・モハンマドさん(カーラ・エ・ナワク村)
ある日の午後、山から猛烈な勢いで押し寄せた水は、家の屋根に迫るほどの高さにまで膨れ上がり、耳をつんざくような轟音とともに村を襲いました。村は恐怖に支配されてもおかしくありませんでしたが、私たちは慌てることなく迅速かつ組織的な行動をとり、被害を免れることができました。私たちが助かったのは運ではありません、“備え”のおかげでした。
特に印象的だったのは、全員が自分の役割を理解していたことです。事前の計画により、女性や子どもたちは危険な作業に関わらずに済み、安心して避難所へ逃げられました。
振り返ると、防災プロジェクトから提供された訓練と装備により多くの人が助かりました。それは単なる道具の有無にとどまらず、何をすべきか知っていること、お互いを信頼すること、そして「必ず乗り越えられる」という自信を持つことです。あの日、防災委員会は適切な訓練と装備があれば、どんな災害にも立ち向かえることを証明しました。そして何よりありがたかったのは、日本の支援でADRAが建設してくれたシェルターです。シェルターがなければ、被害はもっと大きくなっていたでしょう。シェルター建設と防災への支援に深く感謝しています。」
命を守る備えを未来へ
3人の声から伝わるのは、単なる「道具」や「施設」の存在ではありません。“いざという時にどう動くか”という知識と自信こそが、命を守る力になったのです。日本の支援を通じて届けられた訓練・装備・シェルターは、単に災害から人々を守るだけでなく「緊急時に自ら行動できる力」を村にもたらしました。
今、アフガニスタンでADRAが支援した村の子どもたちは安心して夜を過ごすことができています。その安らぎは、日本からの思いやりと確かな支援に支えられています。


父親が遠くイランで出稼ぎに出て、普段は高齢者や女性、子どもたちだけで暮らしています。
アフガニスタン担当:山田貴禎

