【戦後80年】『はだしのゲン』を通して知る戦争

 誰もいないシンとした部屋の片隅で、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、霞む字を夢中で追った。

「かあちゃーん にげよう にげよう」

「いやだー いやだーっ」

「元 君江 にげろ はようにげてくれー」

「かあちゃーん あんちゃーん あついよー あついよー」

「進次―っ ねえちゃーん とうちゃーん」

 当時住んでいた古い一軒家の2階には、母が洗濯物を干すとき以外、普段ほとんど使われていない2部屋があった。1階から2階に上がる階段の入り口には、1階側になぜか真鍮製のあおり止め(穴に引っ掛けるタイプの鍵)がついていた。下手をすると2階に締め出され、1階に戻って来られなくなる。なぜこのような仕様になっていたのかわからないが、前の住人から譲り受けた家に付いていたその鍵は、取り外されることもなく、しかし使われることもなかった。特に用もない2階に、私はめったに上がらなかった。

 家具も何も置いていない2階の部屋だったが、壁一面の本棚に両親が所有していた本が並んでいた。自分には関係のない、大人向けの少し小難しい本という認識から、小学3年生だった私がそれらの本に手を伸ばすことはなかった。しかし、ある日何とはなしに手に取った『はだしのゲン』を開き、漫画であることに気づく。漫画だということだけで読み始めた私は、ぐんぐんと『はだしのゲン』の世界に引き込まれていき、静寂に包まれた2階の部屋で、当時、日が傾くまで夢中でページを繰っていたことを思い出す。

幼少時に読み込んだ『はだしのゲン』

 冒頭のシーン。広島に原爆が投下され、ゲンの父、姉、弟が倒壊した家の下敷きになり、炎につつまれていく描写は、当時8-9歳の私の胸にも迫るものがあった。

 小学2年生で父、姉、弟を目の前で焼き殺されなければならない運命を背負ったゲン。守られた自分の生活とゲンの置かれた環境とのギャップ。私が戦争の惨さ、やるせなさ、悲惨さを感じた瞬間だった。

「元

おまえは

麦になれ

きびしい冬に

青い芽をだし

ふまれて

ふまれて

つよく

大地に 根をはり

まっすぐに のびて

実をつける

麦になるんじゃ」

 親となった今、ゲンの成長を見届けられなかった父の無念を思うと胸が締め付けられる。

 当時、小学校の同じクラスに、カンボジアの内戦を逃れて転校してきた女の子がいた。「うちに連れてきなさい」という母の言葉もあり、よく家で一緒に遊んだ。彼女を通して、戦争で自分の国から逃げなければいけない同年代の友達がいることを知った。

 父の義従兄は二等兵として南方に送られ、現地で終戦を迎えた。転覆した船から投げ出され、3日間木片にしがみついて海を漂ったと聞いた。

 『はだしのゲン』は、それらの話と同じように、原体験ともいえる戦争の悲惨さを私に教えてくれた。子どもながらに、「こんなことがあっていい訳がない」という怒り、悲しさ、やるせなさがない交ぜになった、気持ちの持って行きどころがなかった。

 「なんで君が代を歌うんじゃ わしゃ歌わんぞ 君が代の君は天皇のことじゃ わしゃ天皇はきらいじゃっ」「天皇は戦争犯罪者じゃ」などの忖度のない、歯に衣着せぬ表現。それでいて読者を引き込ませる真に迫る描写。『はだしのゲン』は作者中沢啓二さんの実体験に基づいて描かれている。これまでに英語やフランス語、ロシア語、タイ語など24の言語に翻訳され、世界中で読み継がれてきた。

 ゲンという一人の少年を通して見た、日常と地続きの戦争。これほど「戦争」の実態を身をもって訴えかける作品もないだろう。年々戦争を体験した世代が減り、語り手がいなくなる中、戦争を語り継ぐ貴重な書物だ。そこにはひとつの家族に、親戚に、友人に降り注いだ戦争の実態がゲンの目を通してこと細かに描写されている。

 2023年2月、広島市教育委員会が『はだしのゲン』を平和教材として使用しないという決定を下した。広島市では、2013年度から始まった平和教育プログラムにおいて、小学3年生向けに『はだしのゲン』を教材の一部として使ってきた。しかし、引用されている、路上で浪曲を歌って小銭を稼ぐ場面に関しては「浪曲は現代の児童の生活実態に合わない」、栄養不足で体調を崩した身重の母親に食べさせるために池のコイを盗む場面に関しては「コイ盗みは誤解を与える恐れがある」、家屋の下敷きになった父親がゲンに逃げるよう迫る、先に挙げた場面に関しては「被爆の実態に迫りにくい」として、教材として使用しない判断がなされたのだ。

 私が初めて『はだしのゲン』を読んだのもまさに小学3年生だった。ちょうど自分の置かれた家庭環境と他の子どもたちのそれとの違い、自分の生活と過去の生活とを比較し、理解するようになる年頃だ。

 『はだしのゲン』で池のコイを盗む場面を読み、まさか「コイは盗んでも良い」などという判断にはなるまい。路上で浪曲を歌って小銭を稼ぐということが、当時の時代を反映した実態であっただろうし、それを知ること、そして今の自分の生活を顧みることは、当時の子どもたちが置かれた状況を、そして過去の戦争を知る上でも大事なプロセスだ。平和教材として使用しないという判断根拠があまりにお粗末だ。

 ただ、それらは表向きのいい訳だったとも言える。実際、『はだしのゲン』が掲載されている「ひろしま平和ノート」の改定会議において、有識者から意見が出されていたという証拠がある。『はだしのゲン』を巡っては過去にも保守系の団体から批判の声が挙げられたことも何度もある。

 今、ドラえもんの漫画に夢中になっている小学2年生の息子。息子には夢を見させてあげたい。それと同時に、私たち人類が犯してきた過ちをきちんと知り、二度と同じ過ちを起こす世の中にしてほしくない。時が来たら、『はだしのゲン』をそっと本棚に並べておくつもりだ。

 そして、ゲンは、80年前の日本にいた過去の子どもではなく、2025年の今この瞬間も、ガザに、ウクライナに、アフガニスタンに…世界中にいることを私たちは知らなければいけない。

 自分の家族をゲンの家族と重ね合わせたとき、戦争を正当化できる人などいようか。一国の事情など、一人の人生を前にして、人の命を攻撃して良いどんな理由にもならない。戦争反対を唱える人や政府に批判的な人等が非国民と非難された時代であろうと、身内が兵役にとられ、戦死公報を受け取って悲しまない人間などどこにもいない。

 被爆国である日本は、広島、長崎に続く三度目が、決してあってはならないと伝えていく使命を担っている。

 2012年の夏、私はコスタリカに留学し、国際平和学を学んでいた。ホームステイ先で、遅い休日の朝を、ベッドの上でまどろみながら満喫していたある日。今日はブランチか、とベッドから起き上がり、隣のリビングに足を踏み入れた瞬間、素足の足裏に何やら違和感を覚えた。良く目を凝らすと、床一面、ウジ虫が蠢いていた。誰もいない家で悲鳴を上げる。以前もこの部屋では何者かに醤油瓶の蓋がかじられていたことがあり、後に犯人はネズミだと判明する。ウジ虫が大量発生してもおかしくないのかもしれないが、初めて目にする、床一面に広がり蠢くウジ虫を前に私は身震いし、ベッドの上に駆け戻り、成すすべもなく途方に暮れた。と同時に、ゲンがお世話をしていた政二さんの、体一面を覆ったウジ虫が脳裏に蘇った。ゲンは家族も疎む政二さんの体のウジ虫を毎日ピンセットでつまんで体をきれいにしてやっていた。ゲンと誠二さんとの場面が頭の中に広がった。このウジ虫を、ゲンは毎日取り除いてやっていたのかと。

 小学3年生のとき、夢中で何回も読み直した『はだしのゲン』。それぞれのシーンが強烈に脳裏に焼き付いている。

 私たち一人ひとりが、そういう戦争の実態を知る必要がある。「現代の児童の生活実態に合わない」などの理由で平和教材から外してはいけない。皆が『はだしのゲン』を読み、それを自分事として捉えられたとき、ガザの戦争も、ウクライナの戦争も、なくなるのではないか。

 戦争は、想像力の欠如と、周りの無関心による助長の結果である。

 ゲンが、大好きな父、姉、弟を亡くした広島の原爆投下から、80年が経つ。この80年で私たちは成長したか。80年前の教訓を十二分に今、活かせているか。

 今年7月の参院選では、責任を盾にした人権の制限や、「日本人ファースト」などの排外主義的なスローガンを多く見聞きした。実際にそれらを謳っている政党が議席を大幅に伸ばす結果ともなったことは憂慮すべきことである。そして、それらの政党が10代・20代からの支持を多く集めたことも。

 私たちは核の恐怖を、戦争の愚かさを、積極的に世界に発信していく義務を負っている。終戦から80年が経った今日、今一度、80年前のゲン、ゲンの母、ゲンの友人…、一人ひとりが経験した惨さを想像したい。

 奇しくも先の参院選で排他的なスローガンに魅せられた若者が多くいた現実。私たち日本は本当に80年間維持してきた「戦争がない状況」を今後も維持していけるのか、維持していく覚悟があるのか、『はだしのゲン』を手に、今改めて問いたい。

(文責:堀 真希子)

✉️ まずはメルマガ登録でADRAと世界の情勢を知る
目次