
うだるような暑さが続いた7月。
強い日差しに照らされても、元気なのは蝉と子どもだけ。電子レンジで温め過ぎた弁当のように熱々な窓ガラスの先から聞こえてくるのは、3年越しの自由を満喫するジージーと鳴くアブラゼミと、一時の間学校から解放されキャッキャッと叫ぶ子ども達。暦の上では大暑[1]を指しているが、この時はまだ7月下旬。これから、8月にかけて更に暑くなってくると考えるだけで倦んできた。
今年は全国的に梅雨明けが早い。通常より早く訪れた強い高気圧が、梅雨前線を北上させたためである。九州北部や四国、中国地方では最短の梅雨とされており、6月の梅雨明けは観測史上初めての事だという。今年に限らず、季節の前倒れをする現象は度々発生しており、地球温暖化の影響とされている。また、局所的な豪雨も増加傾向にあり、各地で水害を発生させる原因となる。このような天候が日本のスタンダードになっていくのだろうか。今後の動向が注目される。
【サラリーマンの安息地】
私は事務所へ向かうため、“東京行き”と表示された電光掲示板の下に降り立つ。朝の8時、電車に乗るには決して適した時間ではない。車両にサラリーマンがすし詰め状態で押し込まれ、湿った腕と腕が触れ合う。エアコンは効いているが、周りにいる人間の体温でそんな物は無いに等しい。ただじっと耐える時間が続く。満員電車に倦厭してきた頃、東京駅が近付き、柔軟剤が良く香るシワ一つないワイシャツを瀟洒に着こなすサラリーマン達が続々と降りていく。時折、シワまみれのシャツから鼻を突く部屋干し臭を知覚するのはご愛嬌である。

何を思ったか、ほんの気まぐれから通勤ラッシュの波に押し出される様にして改札の外に出た。日を遮る物が無い東京駅前丸の内側は、やはり暑い。ガラス張りの高層ビルに太陽光が反射しているのか、タイルが蓄熱しているのかはわからない。しかし、とにかく暑い。小学生が学期終わりに持って帰ってきた、カラカラに乾いたアサガオの鉢植えの如く、私のシャツは水分を欲していた。一瞬で重さを増したシャツを身に纏いながら、かつては皇居近くのオフィスビルに、真夏でもジャケットを着て通勤していた頃を思い出す。よくそんな事をしていたな。クールビズとは一体何だったのか?
当時は、オフィスから少し歩き、八重洲口を抜け徒歩数分の距離にある立ち食いそば屋で、白髪の痩躯なご主人が出してくれたキンキンに冷えた水が、東京というコンクリートジャングルの中で、再三再四出会える私のオアシスだった。
少し歩いただけで、サウナにある椅子から立ち上がったかの様に頭が朦朧とする。周囲を見渡しても、汗が滝のように流れ落ち、強い日差しを直接体に浴びて目を細める者ばかりであった。しかし、向かいの交差点には薄っすらと額を滲ませてはいるが、比較的平然としながら会話を楽しむグループが複数いた。彼女たちは、皆パステルカラーの日傘を広げ、大手企業の名前が刻印されているのであろうネックストラップを靡かせていた。どうやら昼食を買いに出かけている様子である。そんな中、スイミー[2]の如く黒い日傘が目に入る。20代半ばであろうか、オフィスカジュアルの様相で、一人飲食店が立ち並ぶ方向へと歩みを進めていた。男性が日傘とは珍しい。少なくとも2024年のほとんどを過ごした能登半島では、見慣れない光景であった。
【熱中症の危険性】
高温多湿な日本の夏は、熱中症のリスクが高い。
発症者は高齢者が多く、めまいや筋肉痛といった軽度の症状から意識障害や臓器不全等の命に係わる深刻な症状まで起こり得る。屋外だけではなく、屋内でも発症する可能性があるのが特徴だ。実際に、能登半島の仮設住宅では、エアコンを使用しない事による熱中症で、既に何人もの住民が救急搬送されている。いずれも、高齢者の発症者が多く、直近の大きな課題となっている。
とはいえ、成人や子供でも十分発症する可能性がある熱中症。どのように、対策すればよいのだろう。こまめな水分補給や適切なエアコンの使用以外に、対応する方法があるのであろうか。先日見かけた、黒一点の彼を思い出した。
ある医療法人の調査によると、過酷な夏を乗り越えるため、日傘を差す男性が近年増加傾向にあるのだという。若年層の男性には、日傘は女性のもの、という固定観念が少なく、暑さや日焼け対策の必需品として捉えられているのであろう。年々、全世代で日傘に対して肯定的な意見を回答する男性が増えているが、今後使用したい・使用していると答えた割合は1割強しかいない様だ。実際に、日傘を活用する事により、紫外線の遮断や体感温度の低下といった効果が2019年の環境省の調査で実証されており、夏の熱ストレスへの対応策として推奨されている。そうとなれば、この暑さでは手を出さない理由が無い。今まで気になってはいたが、荷物が増えるのが嫌で購入に踏み切ることはなかった。これを機に、“日傘男子”デビューをしてみた。
事務所から自宅に辿り着いた頃にはすっかり日が暮れ、遠目からでも電灯に羽虫が群がっている様を視認できる。蝉の声は宵に落ち、数か月後に迎える長夜の静寂に反駁するような声でコオロギがひたすら鳴き続ける。人の流れは途絶えたが、時折激しい息遣いと共に、ランニングウェアを身に纏い颯爽と走り抜けていく男性を尻目に、私はオンラインショップで日傘を眺めていた。最近のモデルは、晴雨兼用で折り畳みができるらしい。フリルレースがついた長尺の日傘は、現在の主流モデルでは無い様だ。どこにも隙がないこの商品を、気が付いたら私はポチって[3]いた。
2025年問題を迎える中、通信販売の物流部門には恐れ入る。注文してから36時間待たずとして品物が届いた。80サイズの小さいダンボールから出てきたのは、できるだけ熱を吸収しない様にと購入した白色の日傘であった。価格にして2000円強。少しのチープさは無視できないが、ワンタッチ開閉機能を兼ね備えた虚飾の無い新しい夏の相棒である。

もっと早くに日傘を購入するべきだったと後悔した。南から照らされる太陽光に温められたアスファルトからは、陽炎が発生している。鉄板の上で焼かれているかの様に、屋外にいる者達の体力をジリジリと奪い去る。外に出ている以上、暑い物は暑いのだが今までとは次元が異なる。まるで木陰にいる様な涼しさとは言い難いが、電柱の後ろに出来た影に立っている様な気分だ。汗が噴き出る事に変わりはない。しかし、新しい携帯式のオアシスが常に私を追いかけ続ける。良い買い物をしたと心から思う。
【白昼に散る花】
遠くで鉛白の入道雲が穏やかな天青の海を静かに靉靆する。ここは、奥能登と口能登[4]を結ぶ要所、のと里山空港から車で1時間弱の距離にある町。まだ昼とは呼べない時間帯にも関わらず、コミュニティーセンターの玄関に飾られている温湿度計は、33度と70%を記録している。その様な中でも、地域住民は萎靡する事無く続々とやってきた。能登マダム達のカラフルな日傘に目を取られる。臙脂色の小間[5]に乳白色のフリルレースがついたオーソドックスな長尺の日傘、シックな紺碧に薔薇の刺繍が施された作品の様な一品、見た目では折り畳み傘と遜色の無いシンプルな物、同じ“日傘仲間”になってからは、自然と目で追う様になった。皆、暑さと美容のために使っているのだとか。
「いやー、今日も暑いわ。日が暮れるまでここにおろうかな。」
そう話す男性は70代の常連さん。体操が終わり、ロビーに置いてある椅子に背をかけ、エアコンの風に当たっている。一方、能登マダム達はおしゃべりに興じていたが、話にひと段落ついたのか、皆帰り支度を進めている。そんな彼女達を横目に男性陣は動かない。
再び晴れ空の下、色とりどりの鮮麗な花が開く。間もなくお昼のチャイムが鳴ろうかとしている頃であった。
「それじゃあ、そろそろ帰るか。今日もありがとさん。」
重い腰を上げ、帰ろうとする男性を見送るため一緒に玄関へ移動する。
「毎日暑いですよね。熱中症も流行っているみたいですから、1回騙されたと思って日傘を使ってみてください。涼しいですよ。」
そう伝えると、こいつは何を言っているんだと言わんばかりの呆れた表情で、妙諦を語るかの様に薄っすらと笑みを零しながら口を開いた。
「母さんは使っとるけどなー。使っとる人が増えとるんか?そうかー、いや、男が使うかねー。」
予想通りの返答ではあったが、「そういった選択肢もある。」と提案でき、日傘の普及に一歩前進した様な気がした。何かの気まぐれで使用してもらえたらと願う。
熱中症は甘く見られがちだ。下手をすれば命を落とす危険性がある。後遺症に苦しんでいる方も少なくない。今年の東京消防庁の情報によると、年々熱中症による救急搬送が増えていると言う。その中でも暑さに体が慣れていない7月が最も多い。エアコンが無くても夏を越せた時代は遠い昔である。
図1:過去5年間の熱中症による救急搬送人員 [東京消防庁, 2025年]
時が流れるにつれ、変わっていくのは人だけではない。環境や常識も刻一刻と変化している。新しい考え方に、退嬰する気持ちもよくわかる。しかし、取り入れてみたら案外良さに気付けるものだ。街中で中高生がミニ扇風機で扇いでいる様をよく見かけるが、あれはハンディーファンと呼ぶらしい。次はそこにチャレンジしてみようと思う。大手家電メーカーからは、ネッククーラーという商品も出ており、皆よく考えつくものである。アイデアマンに敬意を表しながら、本稿は擱筆とする。
(文責:三牧晋之介)
[1] 一年で最も暑さが厳しい頃
[2] オランダの作家レオ・レオニによって描かれた絵本
[3] オンラインショップで物を購入すること
[4] 能登半島北部と南部
[5] 傘の雨が当たる部位




