とある夏の日

 今日も暑い。昨日も暑かった。きっと、明日も暑いだろう。

 後1・2か月は、同じことを考えながら朝を迎える。東向きの我が家では、日の出と共に、肌を刺すような強い日差しによって目を覚ます。汗を吸って幾分か重くなったパジャマ。プチ水抜きをした分、早朝の私は数百グラム軽いのかもしれない。

 無駄に早起きした休日は、ここ数日で溜まった衣類や枕カバー、敷きパッドを洗濯機に放り込む事から始まる。洗濯が終わるまでの間、1か月後に控える健康診断のため30分程走っていた時期もあったが、この暑さでは熱中症の危険があるため自宅にいるべきだ、と走らない事を正当化したため、その習慣もすぐに終わってしまった。これも夏の風韻である。

茜色に染まる空に、縹渺と航空機の閃光灯が点滅する。

 粗末な筆ではあるが、一度執ると時間はあっという間に過ぎていく。平日と違い、立て続けに流れ落ちてくる仕事が無いので、土日は文字を書く事に没頭できる。気が付いたら、窓の外から自転車で爆走する小学生の笑い声は聞こえなくなっていた。

 陽が沈み始め、防災無線が子供たちの帰宅を促すチャイムを流す頃、私は部屋のエアコンを切り、所々ひび割れが目立つベランダにキャンプ用の椅子を広げる。ここから夕飯までの時間が、私のゴールデンタイムだ。まだ、昼間の太陽光をコンクリートが若干蓄熱している点に関しては頂けないが、額から汗が滲むような気温でもなく、時折近所の竹林から冷たい風が流れ込んでくる。今年、初めて梅仕事に挑戦した成果を炭酸水で割り、バケツに氷水を張る。これで、セッティングは完璧だ。

ホームセンターで安売りをしていたアウトドアチェア

 夕涼み。 まさに、その言葉がぴったりである。気温・ロケーション共に申し分ない。眼下には、部活帰りなのか、体操服姿で茜さす君と銀色のママチャリを並走する少年が微笑ましい。そんな中、私はアイスバスと呼べばいいのか、足氷とでも呼ぶのか、とにかく足を氷水に付けて読書やスマホいじりに洒落込む。忍野八海にある湧き水の様に、キンキンに冷えた梅ジュースとバケツに入った冷水の刺激が、脳天まで突き抜けていく。これが、炎昼の締めとしてぴったりなのである。

足湯ならぬ、足氷水

 陽はすっかり沈み、青渴の世界が私を包む。人の気配は無く、ただ草むらから喞喞と観客のいないコンサートが繰り広げられる。いや、そうではない。確かに何かが動いていた。暗闇に慣れ、視界が開けてきた頃、炯眼と私を見つめる2つの寝待月と目が合う。2つや4つではない。少し歩くと、いくつも彼らの気配を感じる。そう、ここから先は猫が世界を支配する宵のひと時。車や道路で自由に寝そべる彼ら。毛繕いをしている様は、何とも愛おしい。私は、この時間の散歩が好きだ。

 自宅に戻り、再びエアコンの恩恵に与っていると、外から大きな物音を耳にする。まるで、近くに雷でも落ちたのかと錯覚させる。猫たちも驚いているに違いない。急いで外を見ると、その燦爛とした様にハッと息を飲む。暗闇に映し出される色とりどりの花弁は、圧巻の一言である。予期せぬ花火ほど、嬉しい物はない。今年初めての風物詩を目にし、思わず笑みが零れる。

夏の風物詩は、スイカよりも花火

 どこの花火か知らないが、以前から待ちわびていた方もきっといるのだろう。そして、この瞬間に大勢の人々が同じ情景を目にしている。1年に1回花火を見たとして、後何回この景色を目に収める事ができるのか。当たり前は、決していつまでも続くものではない。災害の現場に出て、心底そのように感じる。

 ひと夏の1ページ。毎年この風色を思い出に刻みたい。少し感傷に浸りながら眺める花火も、中々乙なものである。

(文責:三牧晋之介)

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