「笹の葉さらさら」

 ロータリーを挟んだ向かいには、商店街のアーケードが続く。少しくたびれたその長い通りには、この地で生まれ育っていない私にも、不思議と原風景の懐かしさを感じる。比較的新しく建造された様に見える駅からは、砥粉色の路面電車が僅か二両編成で、ガタゴトと大きな音を立てながらこの街の交通網を支えている。普段であれば、晩頭にも関わらず現れる、錆色の入ったシャッターに落莫を感じている所ではあるがこの日は違った。

 富山県北西部に位置する高岡市。県庁所在地である富山市に次ぐ人口を誇り、現在では約16万人が暮らす中規模都市だ。かつて加賀藩主の前田家が築城した高岡城跡や瑞龍寺など歴史的建造物が数多く建立し、また鋳物の町としても知られている。

 

【能登半島地震】

 名前からでは、能登半島だけで被害があったように感じるが、石川県内に限らず、周辺の福井県や富山県でも大きな揺れと共に被害を及ぼした。高岡市では、約5500棟の住家被害や断水、文化財の破損 [富山県防災課, 2025]が確認されており、住民の心に大きな影を落とした。液状化の被害が深刻な地域では、再発防止に向けて、現在でも市と住民の間で協議が行われている。

時折現れる近未来的な車両。

 昨年1月。まだ雪の降る頃であった。例年に比べたら降雪量は少ないと言うが、温暖な千葉で暮らしていた私からすれば、腰上まで積もる経験は今までにした事が無いはずだ。終日陽を拝むことなく過ぎていく日々。日中でも辺り一面が銀灰色に染まる様は、何だか寒心に堪えない。

 連日、朝から雪を掻き分ける。玉屑と起臥を共にすると、永遠にゴールの見えないマラソンをしていると錯覚させるこの作業に、雪国で暮らす人々の忍耐強さを見る。新雪は私の辿った道筋を今日まで模り、暢達な筆致で当時の心象を彩っていく。

 能越道をひたすら北に走ると、1時間弱で七尾市へ到着する。断水が解消するまでは毎日の様に通い、足湯やカフェ、炊き出し等の活動を行った。少し落ち着いてからも、多くのボランティアを受け入れ活動を続けている。気が付けばこの地に赴いてから1年8か月が経過した。もうじき、辛酸を共にした高岡事務所は役目を終えようとしている。

【笹に願いを】

 もうひとつの拠点である、穴水事務所から帰宅した。日本海の大海原を背に、在宅訪問調査に参加した帰りである。ここだけ聞くと何とも風流な場での活動に聞こえるが、実際は海から照り返される太陽光によって、グリルの上で焼かれるアジの開きの気分である。両面焼きによって、身の詰まった体からポタポタと脂が滴り落ちる様に、私の全身からも汗が止まらない。

 シャワーを浴び、一呼吸置いて自宅へ移動する準備を整える。刻一刻と迫る終電の二文字に背中を押されながら急ぎ足で駅へと向かう。水縹の頬をほんのりと杏子色に染める頃、私は高岡の商店街に辿り着く。いつもと違う雰囲気に違和感を覚える。この辺りで人とすれ違うことはないのだが、今日は子供から大人までも絡繹とした大通りである。

何だか懐かしくなる商店街。この日は、竹のおまけつき。

 8メートルは優にあろうかという飾りを纏った竹。信号機よりも幾分か高い背丈は、多くの願いを抱え叶える重責よりも、これだけの数を設置した業者による苦労の方が重いだろう。

「笹の葉さーらさらー」

 童謡にもある通り、七夕と言えば笹へ短冊を飾るイメージがあるが、竹に願いを捧げる地域も多い様だ。そして、7月7日ではなく、8月7日の七夕というのも全国的に存在し、旧暦では、この日に織姫と彦星が出会うのだそう。もしかしたら、私たちの知らない所で1年に2回再会できているのかもしれない。

 雨が当たらないアーケードの下には、2メートルばかしの笹と茜色の提灯が綿亘に飾られている。見慣れたサイズ感に、何だか少し安心した。

 いつもと違う壮観な通りを進むと、バターを焦がした香りの中に、ほんのりと甘い醤油の匂いが混ざり合い食欲をそそる。イカ焼きであろうか。少し離れた先には、「パンッ、パンッ」とおもちゃの鉄砲が威勢よく鳴き、子供たちの歩武を止める。ついでに私の足も止まった。コルクの弾を発射する度に、一喜一憂する様は見ていて微笑ましい。花火柄の甚兵衛を着た、恐らく小学校低学年の男の子は、カードゲームに狙いを定めている様子だが、弾は当たっていても中々落とせないでいる。

 「角を狙うんだよ、角を…。」 少年に念を送る。射的には自信があるのだが、新幹線の時間も迫っているため後ろ髪を引かれる思いで足早にその場を後にする。

色とりどりの灯籠が並ぶ改札前。

 改札前は人でごった返していた。ご当地DJであろうか、イベントMC特有の抑揚ある声で観客を盛り上げる。捧腹する人々を尻目に、私には三分の一程しかわからない地元エピソードが耳に入っては抜けていく。隣に出店されている屋台ブースから、白煙と共に良く焼けた香ばしいウインナーの匂いが漂う。やはりテキ屋では無い、地元の飲食店が調理した品は一味違うのだろう。人混みに彷徨する私は、少し脂の焦げた匂いに、夕飯を済ませていないことを思い出す。

 東京まで片道2時間強。濃浅葱の中を時速200キロ以上で突き進む帰りの新幹線。時折、地平線の彼方に縹渺と見える町の明かりに寂しさを覚えながらも、ふと今日の事を振り返る。僅かな時間ではあったが、夏を満喫できた気がする。昨年からこの地に飛び込み活動してきて、漸く富山を楽しめた。いつか、飄逸と富山県を巡れたらと願う。

こちらは、竹ではなく笹に願いを込めて。

【この時を歌に詠む】

 大伴家持。万葉集に多くの歌を残し、歌人として有名な彼であるが、かつて、現在の富山県に属する越中国で国守として勤めていた。政争に巻き込まれ、苦難な人生を歩んだ家持は、その後も地方を転々とし、68歳で病没する。

 そんな家持が、珠洲から越中国府に帰るまでの船旅で詠んだ歌がある。

「珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり」

 能登半島の先端に位置する珠洲から越中国に帰るまで、当時は船で1日がかりであった。珠洲の朝日から始まり、一行を照らす長浜の月光に彼は何を感じたのか。

 東京駅に降り立ち、構内を重い足取りで移動する。デパ地下の様に煌びやかなショーウィンドウは、時間のせいか閑散としている。しかし、やはり東京、人が多い。道行く利用客を照らすLEDのお陰で、時計を確認しないと朝か夜かも分からない。それに協調するかの様に、どこもかしこもスマホの画面が光っている。無表情のまま、一心不乱に操作する彼ら。

 快速にも関わらず、この時間は空いている。一日中動き続けてきたからか、椅子に座ると瞼が重くなる。やっと家に帰れる。そう思いながら、ゆらゆらと地上から這い上がる電車に身を任せる。ビルの光ではない。遠くから朧げと私を追い掛け続ける玉兎。長い旅路の末に想う。穴水の朝日と総武線から流れ見る月が、歌の答えを知っている様な気がした。

(文責:三牧晋之介)

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