
昆布巻き、黒豆、なます、栗きんとん、伊達巻、レンコン、田作り…。2025年を迎えた食卓の、半月盆に所狭しと並べられたいつものお正月料理だ。年末から母がそのほとんどを手作りする。
母の負担を少しでも減らせたらと、今年はなますと栗きんとんを作ったが、さつまいもの裏ごしだけでも時間と労力がかかることを改めて実感する。
寝る間を削ってでもすべてを手作りするという、母のような気合も能力もない私を傍目に、「別にお節料理を頑張って作る必要はない」と夫は言う。私を想っての言葉でもあり、ありがたさを感じつつも、反発したい気持ちがむくむくと湧き上がってくる。
母方の祖母が亡くなる前は、年明けに親戚一同が祖母のいた川越の家に集まり、お餅を作り、元旦はお重を囲んだ。祖母が亡くなり、川越で一堂に会すこともなくなったが、ここ数年は、藤沢の実家に私と妹の家族で集まることが恒例になった。
昨年は、母の負担を想った妹が、お節料理を頼んだ。年末から働き詰めの母が少しでも休まるのでは、と私もありがたく思ったが、見た目には綺麗な出来合いのお節は、味が濃かったり、もちろん母がいつも作るそれとは違い、今でも、どことなく憂いを帯びた昨年の母の表情が思い出される。母の負担は減ったが、母の楽しみを奪ってしまったような、なんとも言えない虚無感が残った。
お節料理が特別好きなわけではない。作ると量も多いので、次の日も、またその次の日も食べ続けることになり、そのうち飽きる。毎年のことである。作る負担も大きい。それでも、やはり、母のお節がなければ寂しいだろう。今までお節料理が並ばないお正月なんてなかったのだから。
「時間もかかるし、割に合わないし、年末からこつこつ料理するタイプでもないし、そもそもお節をみんな好きなわけでもないし、作らなくていいじゃないか」そういう夫に反論する術はないのだけれど、でも、そういうことではないんだよな…と毎年自問自答を繰り返すのだ。
あれは私が高校生のときだったか。一人で祖母の家を訪ね、田作りを教わったことがあった。火加減、たれを絡めるタイミング、火からおろす頃合い。祖母が長年の経験で極めた作り方を、「これが一番美味しい田作りだよ」と教えてもらった。
お節料理を作らない理由はいくらでも並べられる。しかし、この家に生まれたのだから、この味を伝えていく。それだけなのだ。
各家庭の味が受け継がれる日本のお節料理のように、アフガニスタンにも各家庭に伝わるカブリ・プラオが、マントゥが、ボラニがある。カブリ・プラオもマントゥもちょっとした特別の日に食卓に上るが、長らくそんなご馳走を目にしていない子どもたちが、今アフガニスタンにはたくさんいる。
私の悩みは、所詮私がお節を作るのか作らないのか、自分自身の問題だ。作りたくても作れない、ハレの日も皆で食卓を囲むことができない。その痛みはどれほどか。家族みんなで家庭の味を囲めるということは、本来であれば当たり前であるはずの、でも大きな幸せなのだ。その当たり前の、でも確かな幸せを、アフガニスタンにいる誰もが享受できる日が一日も早く来るよう、2025年も私たちができることをしていく。
(執筆:堀 真希子)