東日本から11年。目に見えない本当の復興のために尽力されたKさんのお話

2011年3月11日14:46に発生した東日本大震災から、今日で11年です。

ADRA Japanは、1995年から国内の災害被災地での支援活動に取り組んできた経験から、地震発生直後から調査や支援
活動に取り組み、私自身も、2011年4月より2年以上に渡って、宮城県亘理郡山元町を拠点として、たくさんの方とのご縁に恵まれながら支援活動に従事してきました。

今日は、今も私の胸の中に強く刻まれている方をお一人ご紹介させていただきます。

震災以前は行政職員として働き、ご自身も被災されて以降は地域の方々のために尽くされたKさんです。

沿岸部にあったKさんのご自宅は津波の被害にあい、Kさんご家族は仮設住宅に入りました。

Kさんは仮設住宅のリーダーとして、住民の方々のことをいつも心に留め、そこに住む方々の孤立を防ごうと、お茶っこ(お茶会の意味)の調整のほか、お花見、夏祭り、芋煮、餅つきなど年間を通して様々なイベントを実施するのに尽力しておられました。

誰しもがストレスを抱える状況において、小さなトラブルも多くあったのですが、Kさんが誰かとお話しをされる時は、いつもとても穏やかでした。

住民の方と地域を想う気持ちが人一倍強かったのだと思います。

公営住宅が完成した後は、仮設住宅に住まわれていた方々の多くはそちらに移り住み、Kさんは修繕したご自宅に戻られました。

それぞれの新しい生活がはじまりましたが、Kさんはそれからも人と人とが関わり続けるコミュニティーを維持するために、

住民の方々が集まる場を作ったり、ADRA Japanの足湯支援を呼んでくださったりするなど、相変わらず地域のために活動しておられました。

その後も、Kさんとは連絡を取り続けていましたが、数年前、

「三原さんだから言うけど…」

とご病気を打ち明けられました。

その瞬間は、頭の中が真っ白になりました。

あの大津波で生き残り、それ以来ご自身が辛い状況の中にありながらも地域や住民の方々のために献身的に動かれたKさん。

ようやく状況が落ち着いてきて「これから」という時に、なぜ、どうして、という思いだけが私の心を占めました。

それからしばらくして、Kさんは静かに息を引き取られました。

Kさんにはもうお会いできません。

けれども、Kさんが地域の方々のために何かができないかと奔走しておられた姿、そして、誰かとお話しをされる際の穏やかな笑顔は、今も私の目に焼き付いています。

これは何も私に限ったことではなく、Kさんを知るすべての方に共通することだと思います。

そして、Kさんと同じように、地域の方々のことをいつも考えて行動された方が、ほかにもたくさんいらっしゃいます。

こうした方々の笑顔は、いつまでも周囲の方々の目に焼き付いていることと思います。

誰もが同じ辛い経験をした中にあってなお、自分以外の人のことを考えて行動した方々がいたこと。

そしてその方々によって、それぞれの地域につながりがもたらされ、心のつながりや思いやりといった目に見えない部分の復興が進められてきたこと。

そして実は、それこそが本当の復興であるということ。

これらはすべて、Kさんが行動で示し、教えてくれたことです。

Kさんとの別れは早すぎました。

ですが思い出す度にKさんは笑顔です。

今日1日は、東日本で起こったことやこの11年間に心を向け、過ごしたいと思います。

(執筆:国内事業課 三原千佳)

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