
3月13日、青空が見られるものの風はまだ冷たい日、宮城県山元町を訪問してきました。
山元町は、東日本大震災で震度6強を観測し、大津波による甚大な被害を受けました。
亡くなられた方は637人。家屋被害は4,440棟(うち流出は1,013棟)。推定浸水域にかかる人口は当時の町の人口の53.8%(参考:町HP)。
当時、「誰もが何かを失った。」と言われたほど、その被害は本当に深刻でした。

ADRAは縁あって、発災直後から長期にわたり山元町の支援に入りました。
あれから15年。
あっという間でもあり、確かに15年という年月を刻んでいることも認識する訪問となりました。
15年の間で、新市街地が整備され、JR常磐線全線運転再開、沿岸部の防災緑地ゾーン等の整備などインフラの復旧復興も進みました。と同時にそこには常に住民の方々の気持ちがあり、復興への強い想いがありながらも時に心をかき乱されることもあったかと想像します。
まずお会いしたのは現山元町副町長。
震災当時は危機管理室にいらしたため、支援内容など密に連絡を取りながら町の復旧復興を一緒に考えていきました。
着実にお仕事される中でも時にジョーダンを交えながらのひと時の会話は、スタッフたちを安心させてくれました。
「15年ですか・・」
と話されるその眼の奥には大変な経験を乗り越えてきた人生の先輩としての深みを感じました。

当時の社会福祉協議会局長にもお会いしてきました。
「あれから15年だと思ってテレビのニュース見てたら悲しくなってきたのね。でもよく耐えられたと思うよね。食堂やってくれるボランティアさんがみんな明るくて元気でさ。本当にあんな風に来てくれなかったら今の自分はないと思う。ADRAさんには本当に感謝しかないよね」
とお話くださいました。
“戦友”という言葉が正しいかは分かりませんが、私は当時の局長とADRAの関係を尋ねられると、この言葉が浮かぶのです。
町全体が悲しい空気に包まれる中、混沌としながらも激務に追われる日々を供に助け合って立ち向かいました。
当時は現地で支援にあたる一人ひとり、被災者でありながら支援者でもある方も、とにかく一生懸命で、それも自身の心身の状態を必死に保ちながら対応をしていたように思います。

子育て支援センター夢ふうせんさんには、ほ乳ボトルも寄贈いたしました。使い捨てタイプの軽い物なので、災害備蓄用だけではなく、断水時やお出かけの時にも使えます。
夢ふうせんさんとは、震災後にお散歩カーや電子レンジ等を寄贈した時からの繋がりです。
数年前にはお母さん方で水害用の雑巾を縫っていただき、ADRAに送ってくれたこともありました。今回も、「私たちにできることはありますか?」と聞いてくださいました。
支援を受ける側からする側へ。
環(わ)の広がりを感じました。

みんなのとしょかんにも伺いました。
町内に住む住民の方々が自由に本を借りられる貴重な場所です。小説から専門書、漫画から絵本まで様々あり、年配の方もお子様もここを訪れます。
代表の菊池さんがおっしゃっていた言葉も印象的でした。
「能登半島地震から2年でしょ。能登の人もこれから動きだせるかんじじゃない? 俺らもそうだったもん」
また、学生ボランティアが今も山元町を訪れていることに触れ、
「来てもらえて嬉しいよ」
と温かな眼差しを見せてくれました。
菊池さんたちのお人柄があるからこその長い繋がりがあるのだと思います。

震災当時、ADRAはやまもと復興応援センターのアドバイザーと運営補助を行いました。そこでは仮設住宅等の個別訪問や外部支援団体の受入れ調整などをし、生活支援相談員さんたちと一緒に活動を行いました。
大量のトイレットペーパーを各世帯ごとに仕分ける作業中、相談員さんが
「ちーちゃんと作業してると明るくなって良いね」
と言ってくれました。
辛い状況にある中でも前向きな言葉を使っていくことで、少しでも場が明るくなれば、と思いしていた行動に対して言ってくれた一言でした。
何気ない一言が当時とにかく一生懸命だった私には本当に励みになったことを今でも覚えています。

15年という節目に何をお伝えしようか考えた時、それは山元町の“人”でした。
お会いしたかった方はもっともっとたくさんいらっしゃるのですが、今回は時間の都合で限られた方だけになりました。
そして、今回お会いした方も数年ぶりの再会!ではなく、実は1年に1度のペースで会えている方がほとんど。
ですが、東日本大震災から15年という月日は確かに感じるものがありました。
個々の家庭やご自身の事情も変化していて、当然ながら15年の間にいろんなことがあったのです。
皆さん口々に「15年か・・」とおっしゃっていました。
私にとっても特別だったのでしょう。
皆さんとお話している時には我慢していた想いが溢れ、帰路の車内では涙が浮かんでいました。
災害は本当にたくさんのことを奪っていきます。
ですが、そこにいる“人”たちは負けませんでした。
力強く、逞しく、そしてしなやかに、未曽有の大震災を乗り越える姿に敬服します。
これまでも、これからも、全ては“人”が作っていくのだと実感しています。
(執筆:国内事業課 三原千佳)

