
レバノンとイスラエルは4月16日に10日間の停戦に合意し、そしてその後に3週間の停戦延期がなされました。しかし、レバノン南部に対するイスラエルからの攻撃は、停戦中にもかかわらず続いています。
レバノンでは、100万人以上が国内避難民として登録され、死者は3千人に登りました。
かつて、平和な村でした
「最後の一人になるまで村を離れない」
そう住民たちに約束していたのが、レバノン南部に位置する村のチャディ村長でした。
イスラエルとの国境近くに位置するこの小さな村は、穏やかな暮らしで知られ、美しい教会があり、人々はこの地に深い愛着を持って生活していました。
村長にとってこの村は、ただの故郷ではありません。村長としての責任であり、思い出であり、愛そのものでした。
彼は若い頃、学校で数学を教えていました。その後、将来への可能性を求めて首都ベイルートへ移りましたが、最終的に選んだのは都市での成功ではなく、故郷の村でした。
村に戻り、人々に仕え、地域を発展させるために人生を捧げることを決意したのです。


平和な村を壊した戦争
人口およそ1,000人のこの村は、戦争とは無縁の平和なキリスト教の村でした。しかし戦争は、その静かな日常にも及びました。
家々はイスラエルからの攻撃を受け、道路は危険になり、人々のもとには繰り返し脅迫の電話やメッセージが届くようになりました。
「ここに残れば命を失うかもしれない」
そんな恐怖の中で、教会の地下に身を潜め、祈りながら次の攻撃が来ないことを願う住民もいました。
2026年3月8日には、警備車両がドローン攻撃を受けました。幸い警備員たちは無事でしたが、人々の不安はさらに高まっていきます。
しかし、別の日には、村の司祭の兄である70歳の男性が、自宅で花に水やりをしている最中にドローン攻撃を受け、命を落としました。
そして3月10日、村にあるおよそ200棟の建物が破壊、または損傷を受け、人々は家や教会、思い出、そして長年かけて築き上げてきた生活を1日にして壊されました。人口約1,000人の住民は村からの避難を余儀なくされ、村を離れました。それは耐え難い決断でした。
チャディ村長は、誰よりも最後まで、村に残りました。そして、ついに避難せざる得なくなりましたが、彼は決して人々を見捨てませんでした。

今も続く支援の必要性
現在、チャディ村長自身も避難生活を送りながら、レバノン各地に散らばった住民たちを支え続けています。村の人々の助けの声を抱え、再びADRAのもとを訪れました。

実は約20年前、ADRAはこの村で地域開発支援を行い、住民たちの生活向上を支えていました。その支援は、今も村の人々の記憶に残っています。
長い間、この村は平和と繁栄を育んできました。どんなに強い地域社会であっても、今起きている戦争は、一つの村だけでは乗り越えられません。

ADRAは、2026年3月より、避難生活を送る人々に対しての支援活動を行ってきました。
レバノン各地で避難生活を送る432世帯に対し、衛生用品・生活必需品キットと飲料水を。438人の避難民に対し、食料や衛生用品を購入できる電子バウチャーを配付。その他にも160セットの寝具の配付を実施してきました。
しかし戦況の影響は大きく、必要とされる支援は、私たちだけでは応えきれないほど大きなものです。
この村の人々、そして同じようにレバノン中で避難を強いられている100万人以上が、人道支援を必要としています。
彼らは故郷へ戻る自由を失いました。多くの家を失いました。
それでも、希望まで失わせてはいけません。
ADRAは5月1日より、食料用電子バウチャーを配付する準備を進めています。これは特に国内避難民センターの外で生活する、最も社会的立場が弱い避難民約1,400世帯(約6,500人)を対象に計画しているものです。
また、バールベックにおける教育プロジェクトをオンラインで継続しています。これは、子どもたちへの心のケアおよび心理社会的支援の要素も含まれています。
皆さまからの温かいご支援により、戦争の影響を受け避難生活を送る子どもたちとその家族が、安心して過ごせる時間を取り戻せるよう、ADRAはこれからも支援を続けていきます。
