
今日は、阪神・淡路大震災(1995年)から31年を迎える日です。あの日を知る人も、知らない世代の人も、国内外で災害のニュースに触れるたびに胸がざわつくのは、「困っている誰かの力になりたい」という思いが、私たちの中に確かに息づいているからではないでしょうか。
阪神・淡路大震災では、発災後1年間で約137万人ものボランティアが全国から駆けつけました。特別な技術がなくても、「自分にできることをしたい」という気持ちが集まれば、大きな力になる。私たちはそのことを、この震災から深く学びました。この経験から1995年は「ボランティア元年」、1月17日は「防災とボランティアの日」と呼ばれています。

能登半島地震(2024年)では、私たちはボランティア・NPO・行政・企業などと協力しながら、家屋の片付け、技術系の支援、足湯や移動カフェなど、多様な活動でボランティアを受け入れてきました。


現場では、被災者とボランティアが笑顔で言葉を交わす姿を何度も目にしました。その光景は、私たち自身にとっても大きな励ましであり、ボランティアの力を改めて感じさせてくれました。
一方で、ボランティアの存在が大きな支えであるからこそ、課題も見えてきました。能登半島では1月の地震に続き、同じ年の9月に豪雨被害が重なりました。「ここに住むなと言われているようだ」と語った被災者の表情から、落胆した様子が伺えました。
災害が重なることで被害は複雑化し、支援は長期化します。ボランティアも疲弊し、一部の人頼みとなり、滞在場所の確保も難しくなりました。私たちは、ボランティアが活動しやすいよう滞在施設を整えるなど、支える側を支える取り組みも進めてきました。
八丈島台風被害(2025年)では、島という地理的条件から外部ボランティアが入りにくく、倒木処理など専門性の高い作業が多く発生しました。そこで大きな力となったのは、島民のボランティアでした。地域の人が地域を支える姿は、これまでの災害対応を見直す機会となりました。
阪神・淡路大震災(1995年)から続いてきた「ボランティアの力」を信じたい一方で、今後想定される首都直下地震や南海トラフ巨大地震では、外部からのボランティアや物資の移動が制限され、これまで以上に複雑な課題が生じると予想しています。
「災害対応と言えばボランティア」という発想から少し距離をとり、私たち一人ひとりがまずは身近な人の力になれることを考え、地域の住民や資源を理解すること、そして有事の際には地域の中で支え合える関係を築いていくことが求められているように思います。災害対応でこれまで交わることのなかった個人や団体がつながることは、複雑で多様な課題に対処する大きな力になると信じています。
私たちはこれからもボランティアや支援者、関係団体と協力した活動を通して、1995年のボランティア元年から積み重ねられてきた経験を地域社会に還元し、次の世代へとつないでいきたいと思います。
(国内事業課 大澤 明浩)

