
2017年10月26日のことだった。はっきり覚えてはいないが、夕食を終え、床に就く時刻だったか。ネイビーブルーとクリーム色のペンキで塗られた寝室の電気を消し、玄関と部屋それぞれに設置された鉄格子の安全扉を隔て、“オーダーメイド”のベッドに腰掛けながら、私はJICAからの連絡を待っていた。寝室のガラス窓に備え付けられた鉄格子の向こうには、普段だったら爆音が流れ出すバーがあるが、この日ばかりは静まり返っている。大統領選挙の再選挙が行われたこの日、私はケニア西部のカカメガにいた。

外からパンパンと乾いた音がした時、それが銃声とは思えなかった。なんせ生の銃声など聞いたことがなかったから。それでも、武装した警察部隊らしき数人がコンパウンドに走りこんできた時にはさすがに焦った。地階に住む私の部屋からは、アパートの敷地前に聳え立つ2m以上の鉄製ゲートに阻まれて、外の通りで何が起きているのかが全く見えない。リビングの窓からカーテンの隙間越しに見えたのは、野次馬のように外の様子を窺うご近所さんたちの姿。JICA安全研修で緊急事態が起きた時は窓からも離れるようにと言われていたことを思い出し、私は部屋の奥に戻った。が、興味本位で渦中の火元を確認しに行くアパートの住人たちを見て、私が心配性すぎるのか、ケニア人が後先を考えないのか…そんな思いがぐるぐると頭を巡っていた。
自宅で息をひそめて待つしかなかったが、JICAに連絡すると、各担当者からコールバックを入れますと言われた。まず、健康管理員と呼ばれるスタッフから電話が入った。とにかく私がパニックにならないよう、ゆっくりと落ち着いて話をしてくれた。それからしばらくして今度はJICAセキュリティ担当の現地スタッフからの電話が鳴った。独自のセキュリティルートを介して、私が住むカカメガの町はずれルランビで何が起きているのか確認してくれたようだった。再選挙で野党最大派閥NASAの大統領候補ライラ・オディンガが選挙へのボイコットを呼びかけていた中、野党色が強いカカメガの私の近所でもタイヤを燃やすなどの行為が路上で行われ、近くに駐屯していた警察部隊が威嚇射撃をしたとのことである。
混乱が予想された再選挙のこの日、ケニア全土で計13万人の警察部隊が動員されていた。JICA現地事務所の対応のおかげで私自身は比較的落ち着いてこの晩をやり過ごしたが、一番パニックになっていたのはLINEで連絡した熊本の母だった。東京のJICA事務所に「何してるんだ!!」と電話を入れてやると言い出したので、電話されたって彼らにできることはないし、ナイロビのJICAの人が対応してくれているから大丈夫と言いながら、事の最中に連絡を入れたことを少し後悔した。翌朝、国全体の混迷とは裏腹に、ルランビの町はよく晴れ、私にはいつもと変わらぬ日常が戻っていた。

私は、同年3月末にケニアに赴任した。首都ナイロビから西北西におよそ400kmのカカメガに拠点を置き、青年海外協力隊のボランティアとして活動を開始。2017年は大統領選挙の年。8月に行われた選挙では現職のケニヤッタ大統領が再選を果たした矢先、不正があったとして野党連合NASAが選挙管理委員会に不服を申し立て、アフリカ史上初、大統領選挙の結果が無効となるという判決が最高裁にて下された。8月の本選挙では治安が荒れることが想定されたため、私を含むJICA協力隊員は全員ナイロビに退避し、ホテルで缶詰め状態の日々を送った。その後10月の再選挙の際には各自自宅での待機となっていた。
2017年11月、結局再選挙でも現職のケニヤッタ大統領が再選を果たしたが、この選挙に関連する死者は100人近くに上った。これらの衝突の裏には部族主義など根深く複雑な背景があるが、汚職や不正により長年変わらぬ社会の現状に憤りを噴出させた人々のパワーは計り知れないという事実を突きつけられた。暴力も辞さぬ疾風怒濤の変革を賛美するわけではないものの、国民のために税金を基として為されるべき政治とそれに対する人々の動きをこれほどまでリアルに感じたことはなかった。

(The Guardian, Clashes in Kenya after opposition leader’s election fraud claim, 9th August 2017)
私は今、ADRAで日本国民の税金を原資とする助成金事業の管理を担っている。さらに助成金事業管理に加えて、支援者の方々からの寄付金による活動にも携わる。これらはすべて社会事業であり、どうすればこれらの資金をより透明性高く、社会に還元することができるのか?という課題を常に抱えている。私たちに求められる説明責任は大きく、「ああ、これで説明責任を果たし終えた」と満足する日は来ないと私は考える。なぜなら我々にはより良い社会還元を追求する使命があるから。私は好んでそんな「非営利」の業界への道を選んだ。
大学を卒業し、民間企業に勤めたこともあったが、一部の人間と地域に富が偏るこの世界で、新たな利益を生み出す歯車の一端を担うことに興味が湧かなかった。豊かさを生み出すための人類の営みにより自然資源が枯渇する現代社会。そんな世の中で大量生産、大量消費に携わるよりも、すでに生み出されている富が税金や寄付金という形でも必要な場所に使われる社会事業に関わる方が面白いし、自分にも合っていると感じていた。この仕事を始めて5年目になる今、税金や寄付金を預かって社会還元するための活動をする責任の重みをひしひしと感じている。
長い間ケニア時代の選挙の記憶は私の思い出の箱にしまわれていた。しかし、NGO業界で長い経歴を持つ先輩スタッフと出会い、世界の潮流や非営利団体としての事業管理の基本を学ぶ中で、社会事業の実施者としてあるべき姿勢をこれまで以上に真剣に考え、自分自身と向き合うようになった。とはいえ、まっすぐに進もうとすればするほど、組織を超えたレベルを含め様々な逆風を肌で感じる機会が増えているのも事実だ。
そんな折、今までの人生で滞在・訪問した国々で社会の変革のために声をあげて戦っていた人々の姿やその景色が目に浮かんだのだ。 昨年から今年にかけて訪問したバングラデシュも同様だ。2024年7月、大学に通う若者たちが中心となり、政権を覆す大きな変革を起こした。大学に通うだけの経済的余裕があるのだから、格差の大きいバングラデシュ社会の中では恵まれた立場にある人々であるはずだ。社会の不平等・不透明さに目をつぶり、黙って生きていく方が楽かもしれない。だが、若者たちは立ち上がったのだ。

(Foreign Policy, Bangladesh Picks Up the Pieces After the Revolution, 23rd September, 2024)
汚職、不正、不平等。ケニアやバングラデシュの社会で、こうした高く厚い障壁を崩そうと戦う名前も知らない人々に想いを馳せながら私は自問する。日本で社会事業に携わる自分にできることは何なのか。
まだこの仕事を始めて2年目の頃、当時英会話レッスンを受けていたアメリカ人の先生に聞かれたことがある。
「日本人は衝突を嫌がる。でも僕からしたらなぜ納得がいかないことに対して声をあげないのか全く分からない」
当時の私はそれっぽい回答をすることしかできなかった。
「私の場合は、衝突が嫌というより、その時の損得で考える。そこで声をあげるエネルギーと、それをしたことで得られる結果を考えて、エネルギーの無駄だと思うなら衝突は避けるかな」
当時を振り返る今、「目を覚ませ!」と3年前の自分に喝を入れてやりたくなる。何を生温いことを言っているのかと。社会のために変えるべきと信じるものがあるなら、声をあげればいい。世の中、「完璧」など存在しない中で「より良い社会還元を!」と追求し、走り続けるのが苦しくないと言えば噓になる。だが、やらない理由、立ち上がらない言い訳だらけの場所にどんな明るい未来があるのだろう。そして逆境で物事を突き動かすには、それなりの準備が必要だ。「ああもう疲れた」と言っている暇があれば、今自分にできる目の前のことに向き合うしかない。私はそんな覚悟で今日も仕事に臨んでいる。
(文責:高橋睦美)

