
ADRA Japanではエチオピア、ガンベラ州において様々な活動を続けてきましたが、昨年3月から今年にかけては生計向上および平和的共存促進事業を実施してきました。ガンベラ州では度重なる民族衝突が発生しており、政府が南スーダンから大勢の難民を受け入れたことによって、民族バランスの変化がさらに状況を不安定にしています。このプロジェクトでは難民と地域住民による平和への理解を促進し、灌漑農地建設によって食料事情の改善を試みました。10年近くに渡りガンベラ州での事業に関わって来たエチオピア人スタッフに所感を訊ねました。

ガンベラで育って、ガンベラで働く
- (市川)ご自身もガンベラ育ちでいらっしゃいますね。
- (ビニャム)はい。生まれは北部のティグレイ州ですが、11歳のころに両親の仕事の都合でガンベラに越してきました。以来、ここで育ちました。
- どのような少年時代を過ごしましたか。
- とても幸せに育ったと思います。活発だったので、学校以外の時間は同級生と遊びまわっていました。思いつく限りの遊びをし尽くしたと思います。バロ川で泳いだり、かくれんぼをしたり。夏休み中は一日中遊びまわっていました。朝早くに出かけて、みんなとサッカーをして、昼食の時だけは家に帰りましたが、ご飯が済んだらまたすぐに出かけて、夕方までサッカーをするといった感じでした。
- 活発旺盛だったのですね。
- はい。振り返ってみれば、両親はこの州で子どもを育てるのに大変な思いをしたことも沢山あったと思うのですが、自分はそういったことをほとんど感じずに無邪気に過ごしていました。
- ガンベラでは1980年代から民族や政治的な対立から武力衝突が起こり、不安定な情勢が続いていますね。幼少期にそういった影響は感じましたか。
- 正直、あまり感じませんでした。今は民族衝突が起きるとSNSなどを通じてすぐ情報が入ってきます。でも、当時は通信が未発達でした。争いごとが起こって一週間ほどしてから噂話を通して知るような状況でしたから、あまり身近に感じなかったのかもしれません。ただ、個人的な体感としては、民族間の溝も当時は今ほど深くなかったのではと思います。
- 学校で遊んだり、地域の人たちと過ごしたりする中で、民族対立はあまり身近ではなかったのですか。
- はい。子ども同士は出自を気にせず普通に遊んでいました。今もそうですが、ガンベラの人は公の場では民族間の摩擦が生じないように意識します。他の部族に対する複雑な思いは表には出しません。自分自身は少し大きくなってから、家族と話したりする中で、皆の心の中に民族間の溝があることに徐々に気づいていきました。
- 今は3人のお子さんのお父さんですね。
- はい。父親になってみると、地域の治安状況には敏感にならざるをえません。家族の身に危険が及ばないよう、いつも複数の媒体で情報を確認しています。

多民族社会に暮らす
- ガンベラには代表的な3つの民族が暮らしていて、それらの対立が武力衝突の火種となっていますね。そもそも日本の皆さんには多民族が暮らす地域がイメージしにくいかもしれません。
- 民族が違うというのは出身国が違うのと少し似たところがあると思います。例えば同じ東アジアでも日本人、中国人、韓国人の間では生活慣習は大きく違いますよね。ガンベラに住んでいる民族も食べ物や冠婚葬祭の儀礼…それから祝日なんかも違います。そういった人たちが隣に住んでいる感じです。
- それは大きな違いですね。
- そういった暮らしの中で、多くの人が感じているのは「自分の民族の文化が一番」ということじゃないかな。同じ地域に暮らしているから、他の民族の文化もよく知っていますし、尊敬もしています。だけど、やっぱり慣れ親しんだ自分の民族の文化が好きと思う人が多いと思います。その上、ガンベラでは例えば若者たちが別の民族の人と結婚しようとすると、親族から暴行を受けるといった仕打ちを受ける場合もあります。民族が混ざり合うことを良しとしない空気はありますね。
- ADRAのガンベラ・チームも3つの民族で構成されていますね。
- そうですね。楽しいチームでしたが、マネージャーとしては民族的な偏見から相手を疑問視する空気が生まれないように気を配る必要はありました。また、プロジェクト期間中には、治安状況から「アヌアックの職員が現場に入れない」「ヌエルの職員が現場入りできない」といった状況もありました。
- 多民族で構成されたチームは難しさもありますが、リスク対応においては強みにもなりますね。

民族の垣根を越えて、笑いの絶えない良いチームだ。
日本人と働いて驚いたのは…
- NGO業界に入られたのはどういったきっかけでしたか。
- 元々行政で働いていましたが、より待遇の良い仕事を探す中で2016年にADRAと出会いました。
- ADRAで働いてみていかがでしたか。
- 日本人スタッフとの仕事は衝撃的でした。自分が事業地から戻ってくると、事務所にいた日本人駐在員が「Thank you(ありがとう)」と言ってくれるんです。最初は「なぜそんなこと言うんだろう」と思いました。それまで自分は仕事に対して感謝されるという感覚を知らず、雇用条件に示された仕事をしているのだから、やって当然だし、義務だと思っていました。でも段々と、同僚が自分の努力を認識してくれて、感謝されることのありがたさが分かってきました。長い間働いてきて、その環境にとても力づけられたとなと思います。
- そう言ってもらえると、日本人の一人としてはとても嬉しいです。

難民キャンプでの聞き取りの様子。
平和的共存事業に携わって
- ADRAはガンベラで2014年から難民キャンプでのトイレ建設や水衛生の事業をしてきましたが、今回のプロジェクトで初めて平和構築に挑戦しましたね。最初に駐在員から平和構築事業をやると聞かされた時はどう感じましたか。
- 正にこの地域に必要なことだと感じました。長い間ガンベラの状況を見てきて、人々に支援を与えるばかりではダメだなと思う部分がありました。「Don’t give a man a fish; teach him to fish.(人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ)」という諺がありますが、住民の中に自分たちで平和を形作って保っていくイニシアティブを作っていくことが大事だなと感じていたんです。ですので、今回のプロジェクトが平和的共存を示す指標を作ったり、ピースダイアログという対話の場を設ける活動を通じて、住民主体で地域の平和を築いていくという内容になると聞いて、ぜひやってみたいと思いました。
- プロジェクト構築から実施まで、プロジェクト・マネージャーとして関わってみていかがでしたか。
- 計画段階では、地域のニーズを聞き取るために州、郡、村の平和・安全保障の担当者や住民からのヒアリングを何度も実施しました。そして、例えば、聞き取りで得た「住民の中で平和構築のイニシアティブを担う主体がいない」という課題に対して、地域平和委員会を立ち上げるといった活動を盛り込みました。実際にプロジェクトを行ってみて、地域に存在する情報の偏りや武力衝突の引き金になる要因を取り除くことができていると感じ、ヒアリングで得た情報の価値が身に沁みました。
- プロジェクトを通じて、地域の平和の状況に何か変化を感じましたか。
- プロジェクト開始時は地域の住民は平和についてぼんやりとしたビジョンしか持っていなかったと思います。それがこの活動を通じて、自分たちがどういった社会を築いていきたいか、それに向けてどのような活動をしたいかが一人ひとりの中で明確になってきたように感じました。ピースダイアログには毎回たくさんの住民が関心を持って参加してくれて、積極的に意見を出してくれましたし。
- 眼差しの強さが変わってきたのですね。
- はい。プロジェクト終了後に事業地を通りかかった際、地域平和委員会が道端でスピーカーを使って、平和集会への参加の呼びかけをしているのを目にしました。元々何も無かったところに、活動を通じて対話のプラットフォームができ、さらにそれが継続されていることが本当に嬉しいです。
- 郡の平和・安全保障担当者からも評判が良かったとか。
- はい。担当者からは肌感覚として、「本プロジェクトの活動を受けて、事業地の治安状況が改善している」と報告を受けています。ただし、ここ最近は再び緊張が高まっており、活動効果の維持の難しさを痛感しています。

住民からの真剣な意見が嬉しかった。
プロジェクトで一番嬉しかったのは…
- 農業コンポーネントでは井戸を掘削してポンプを設置し、開墾した農地で耕作ができるような環境を整えましたね。
- ガンベラは肥沃な土地など自然資源があり、本来は豊かな実りを得られる土地であるにもかかわらず、生活は最低の水準以下で貧困状況にあります。そして、外部からの支援に依存した食料安全保障の脆弱さが地域の緊張状態に拍車をかけているんです。ですから、灌漑設備導入や農業研修の実施を通して、本来実現できる平和で自立したコミュニティの在り方と現実のギャップを埋めていけることに、大変やりがいを感じました。
- このプロジェクトで一番ワクワクした習慣は、灌漑用に掘削した井戸の水が最初に出た時だったとか。
- そうです!過去のプロジェクトでは、掘削をしても水がでないということも経験していたので、実際に水を見るまでは心配だったんです。水が出た時は、これで裨益者の生活に資することができるんだと喜びに溢れました。水質検査の前でしたが、思わず水を口に含んでしまったほどです。
- それだけ嬉しかったということですね。このプロジェクトでは豊富な揚水量を活かして、人と家畜用の水飲み場も建設することができ、広く地域に貢献する活動ができたと感じます。
- はい。このプロジェクトの灌漑農地建設はガンベラ州での他機関の支援の在り方にも大きなインパクトを与えています。例えば難民キャンプ内では井戸掘削事業を始めるそうです。本プロジェクトでキャンプ周辺の土地に十分な水量を供給するポテンシャルがあることが明らかになりました。支援物資は消費したら無くなってしまいますから、持続的に農業等に使える井戸堀りに可能性を見出したようです。他のNGOからも類似のプロジェクトを実施したいから、詳細を教えてほしいという問い合わせを受けました。

地域環境の改善のために…
- プロジェクトを終えてみて、今はどんな気持ちですか。
- この世界にはいたるところで紛争が見られます。パレスチナでも、イエメンでも、ウクライナでも。けれども、エチオピア、特にここガンベラ州では紛争は土地に根差して蔓延るようにして存在しているものです。だから、今回平和的共存促進の活動をして、人々の心に地域平和の種を植えることができたことは大変意義深かったです。プロジェクトのドナーである日本の国民と日本政府、ADRA Japanに感謝を伝えたいです。もっとも、1年間でできる活動には限りがあり、本当は住民の能力向上や行動変容のためにもっと長期的なインプットをしたかったなというのが本音ですが。
- 最後に、ガンベラの未来についてどのような思いを抱いていらっしゃいますか。
- 今回のプロジェクトは平和的共存への理解を深め、ガンベラの自然資源を活かすという意味で、ひとつの良い事例になったと感じています。ただし、州の状況を改善していくには更なる努力が必要です。そういった活動をする上で大きなネックになっているのが武力衝突等の治安状況です。緊張が高まると移動を制限せざるをえないことから、農民が田畑に行けず、炭鉱夫も鉱山に行けず、あらゆる活動がされます。ですので、平和的共存促進は今後もキーになってくると思います。
- ガンベラで子育てをしている親としては、子どもたちにどんな社会を作ってあげたいですか。
- 現在のガンベラをみると、残念ながら「自分の子供たちにここで育ってほしくない」と感じてしまうのが本音です。民族対立によって安全が脅かされますし、経済状態も悪く、十分な公共サービスや教育を受けることもままなりません。ですから、目下の目標は「ここで子育てをしたい」と思えるような安全で、しっかりと機会の補償された環境を整えることです。
- ガンベラ出身の皆さんがスタッフとして事業に関わり、自分たちの地域のことを真剣に考えながら活動を進めてくれたことは、 ADRA Japanにとっても貴重なことだったなと感じます。的確な仕事ぶりにもいつも感謝でいっぱいでした。本日は、お話を聞かせてくださって、ありがとうございました。

揃いのTシャツには「Unity in diversity: Embracing peaceful coexistence
(多様性の中の調和-平和的共存を受け入れる)」の文字を刻んだ。
インタビュー後記
長年に渡って、ガンベラ、アディスアベバ、そして東京のチームで協力してプロジェクトを進めてきました。ここのところは地域の治安悪化も受けて、日本人が駐在することができませんでしたが、常に細部まで相談しながら活動を進めてくれるエチオピアのスタッフのおかげで、東京に居ながら、ガンベラに吹いた柔らかな平和の風が私たちの手にも触れるような感覚でした。同時にこの地域が抱える難しさも痛感しましたが、何をおいても、ガンベラの土地に新しい空気を吹き込むことができたことに、私たちの存在価値があるのだと自負しています。この事業期間に小さく育った芽を、住民のみなさんが大切に育てていってくれることを願うばかりです。ADRAは今年の7月末をもって一度ガンベラ州での活動を離れますが、引き続き何らかの形での支援を検討しています。
今年8月からはエチオピアのアファール州で事業を開始しています。今後ともADRA Japan、エチオピア事業の活動を見守っていただければ幸いです。

(文責:エチオピア事業担当 市川 結理)
