ADRA初代支部長が受け取った第67代総理大臣福田赳夫氏からの推薦文

「『この世代が成し得る最も偉大な事は、次の世代の為にいくつかの足跡を残しておくことである』――ケタリング(米 発明家1876-1968)

今日、科学や学問の進歩は日進月歩であるが、飢餓、貧困、不衛生、疾病は依然として未解決の問題です。アドラ(ADRA)国際援助機構は今日人類がもつこうした深刻な問題に対して、人種、宗教、人生観の隔てなく助けを求める人々が自立できるように救援しておられます。その働きは緊急援助から生活自立の多岐にわたり全地球的世界観に基づくものです。この人類博愛精神こそ21世紀に向かって確実に残すべき我々の足跡です(後略)。」

これは、第67代内閣総理大臣、福田赳夫氏が、私たちADRA Japanのために記した推薦文です。

1985年に発足したADRA Japanの存在を、元総理は知っていました。

そこで、初代支部長の藤田潔が面会を申し込むと、当時80歳だった福田氏は時間を割き、こちらのリクエストに応じてくれたのです。ADRA Japanの誕生から、2年目のことでした。

福田氏は1905年1月14日生まれで、群馬県旧金古腸のご実家は養蚕業を営んでいました。

幼い頃からランプ磨きをこなし、小学5年生になると桑の葉摘みをして家計を助けました。

故郷で神童と呼ばれていた彼は、東京大学を卒業後、大蔵省の官僚を経て、政治の世界に入って行きます。

田中角栄元首相との自民党総裁選に敗れた件は有名ですが、その後、三木武夫元首相に総理の座をさらわれた際にも「騙すより、騙されろだ」と周囲に語っています。

1976年12月24日、71歳にして内閣総理大臣の椅子に座った折には「わしは上州任侠の血を受けている。弱きを助け、強きをくじく政治をやるんだ」と発言しました。

あるメディアが「首相が朝食を摂る姿を撮影しよう」とTVカメラを回した折、生卵と醤油を混ぜて白米にかけて食べ、生卵の皿に残った少量の黄身がもったいないと、ごはんを卵の皿に移してこすって口に入れたそうです。

その様子を目にしたジャーナリスト、故筑紫哲也氏は「まさに映像メディアとしては目から鱗。首相の庶民的な姿、そして貧乏性を見た気がした」と語りました。

福田氏は生前、こんな言葉も口にしています。

「私は別に気取ってるとは思わないんですよ。人生、ここでいよいよ棺をちゅう時に、いくら金を残しても、わしは本当にいいフィナーレにはならんと思うな。いくら名誉、地位を獲得しても、どうだろうと思う。そうじゃなくって、やっぱり沢山の人が、わたしの短い人生の努力によって幸せになってくれた。喜んでくれた。その顔、顔、顔が取り巻いている。そういうフィナーレが一番美しくもあり、かつ人生として価値が高いんじゃないかと思うな」

人の幸せのための努力を惜しまない福田氏がADRAの志を理解してくださったことを、私たちは誇りに思っています。

元宰相に認められた「弱者を救済する姿勢」にこだわり、今後も私たちは一人ひとりに寄り添う活動を続けて参ります。

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