アメリカで2月といえば「黒人の歴史を思いおこす月(Black History Month)」

奴隷解放を唱えた第16代アメリカ大統領のエイブラハム・リンカーンは1809年2月12日に、ケンタッキー州ハーディン郡で生まれました。

また、黒人奴隷として生をうけ、後に奴隷制廃止論を主張したフレデリック・ダグラスの誕生日は、1817年か翌1818年の2月とされています。

当時のアメリカ社会には黒人奴隷に出生届を出させる習慣がなかったため、正確な日にちは明らかになっていません。

いずれにしても、黒人の人権を守ろうと命懸けの活動をした著名な2人が産声を上げたのが2月。

アフリカ大陸から強制的に連行され、人権を踏みにじられた人々の苦しみを忘れないようにと、アメリカは2月を「Black History Month(黒人の歴史を思いおこす月)」と定めています。

世界約120か国に支部を持ち、メリーランド州に本部を置くADRAも、黒人の人権を守るために戦った先人たちに、心から敬意を払います。

今回、ADRAは、「Black History Month」にちなんで、4名の歴史的人物をご紹介します。

ブルース・マクマリオン・ライト(1917年12月19日 – 2005年3月24日

1939年に、名門プリンストン大学に合格したライトは奨学金を得られるはずでしたが、肌の色を理由に拒否されてしまいます。

兵士として第二次世界大戦を経験後、法の世界へ。やがて、ニューヨーク州最高裁判所の裁判官を務めます。彼は、正義が資力に左右されるべきではないと信じていました。

ライトは裁判官として25年間、刑事事件および民事事件の審理を続けました。

頻繁に、文学的な引用を交えて意見を述べました。そのかたわら、ニューヨーク州ガーデンシティのアデルフィ大学の客員研究員として、「マイノリティーに対する法律」の授業を担当しました。

彼は司法制度における人種の役割について、1987年に『Black Robes, White Justice(黒い法服、白い正義)』を刊行し、1991年のAmerican Book Award(アメリカ図書賞)を受賞しています。

「私たちは裁判官として、先人が培った『何人も、法の下で平等な正義を受けられる』という基本を忘れてはならない」という言葉を残しました。

ジェーン・ボーリン(1908年4月11日– 2007年1月8日)

ニューヨーク州生まれのボーリンは、ウィリアムズ大学を卒業した最初の黒人として名を残した弁護士の父と、英国から移住してきた白人の母との間に生まれた一人っ子です。

ボーリンは8歳にして母を亡くしましたが、黒人と白人のハーフということで、様々な迫害を受けねばなりませんでした。

黒人女性として初めてイエール大学のロースクールを卒業したボーリンは、40年以上にわたって、黒人の人権を守るために活動しました。

31 歳で家庭裁判所の裁判官に任命された彼女は、人種および宗教的偏見と戦い続けることを自らの使命としました。

公的資金による保育機関が、民族的背景や肌の色に関係なく、全ての子どもを受け入れるようにするなど、児童サービスを奨励するよう努めました。また、ハーレムにおける人種差別に反対しました。

「大人同士のお金をめぐる言い争いを解決するよりも、地域のタクシードライバーが、一人の子どもを助けるかどうかに、私は関心がある」と発言した人です。

ジョン・ルイス(1940年2月21日–2020年7月17日)

アラバマ州で10人きょうだいの3番目として生まれたルイスは、15歳の時、ラジオから流れるマーティン・ルーサー・キングの言葉を聞き、同年後半にキング牧師が先導したモンゴメリーにおけるバスボイコット運動に注目します。

その後、黒人たちが公民権を求めて1965年3月21日から

25日まで、アラバマ州セルマから州都モントゴメリーまでを行進した際には、リーダーの一人となりました。

ルイスは、黒人にも選挙権が与えられるべきであり、教育、住宅も保障されるべきだと主張しました。彼は、疎外されたコミュニティで生きるためのチャンスを得るには、平等な教育と手頃な価格の住宅が不可欠であると話しました。

「正しくないこと、公平でないことを目にした時は、声を上げなければいけません。何かを発言し、行動に移すのです。」と呼びかけました。

エラ・ベイカー(1903年12月13日–1986年12月13日)

ベイカーはバージニア州で生まれました。1910年、父親が勤務していた蒸気船の会社に白人たちが押し寄せ、造船所の黒人労働者を襲撃する事件が起こります。

危険を感じたベイカーの母親は7歳の娘の手を引き、ノースカロライナの実家に戻りました。そこでベイカーは、自身の祖母から、奴隷の暮らしについて聞かされます。

雇い主が選んだ奴隷男性との結婚を拒否したために殴られ、ムチ打ちに遭った祖母の過去を知り、ベイカーは衝撃を受けます。

彼女は成人してから、学生が暴力を振るわれることなく勉強に打ち込める社会を築こうと邁進しました。生前、ベイカーは言いました。

「自分がどこに向かっているのかを知るためには、どこにいたのかを思い出すだけでなく、自分がどこで過ごしてきたかを理解する必要があります」。

ADRAは弱者と呼ばれた人々の苦難を学び、世界各地において、今なお著しく損なわれている人間としての尊厳の回復と維持を実現しようと、今日も活動しています。

皆さまの温かいご支援をお待ちしております。

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