ある客室乗務員の涙

2022年、ADRA Australiaのスタッフである、ジーン・サイランは、プラハで催されたサミット出席後、帰国の途に就いていた。機内で、頭上の棚に自分のバッグを納めていた時のことだ。突然、彼の後方にいた客室乗務員の嗚咽を耳にする。

サイランはその日を振り返る。

「僕はADRAのTシャツを着ていたのですが、彼女がロゴを見て、泣きながら後ずさりしたのです。乗客が客室乗務員に対して失礼な態度をとったり、侮辱したりすることもありますよね。他の客室乗務員たちは僕が何かひどいことをしたのではないかと感じたらしく、彼女に駆け寄りました。

しかし、涙を流しているその女性は僕に言いました。

『家族のために、あなたたちがしてくれたこと、本当にありがとう! ありがとう! ありがとう! ありがとう!』って」。

サイランが客室乗務員の胸バッチを見ると、名はオクサナで、その横に出身国を示すウクライナ国旗のピンがついていた。

「落ち着きを取り戻すまでの間、オクサナさんは座って自身の話をしました。

ウクライナで戦争が始まった折、彼女の家族は、やがて最前線となる地域に住んでいました。

6人のきょうだいがいて、父と兄、弟は兵士となりました。オクサナさんは数か月間、彼らと連絡が取れていませんでした。

彼女は父や兄弟が生きているかどうかの情報さえつかめていなかったのです」

オクサナさんの家族――叔母、子どもたち、祖母、祖父、母は、砲弾が飛び交うエリアのアパートで暮らしていた。

「オクサナさんは僕にこう話したんです。

『ADRAのバスが私たちを迎えに来てくれました。だから、このロゴを覚えています。そして、私たちがバスに乗って故郷を離れた直後、我が家は爆破されました。ADRAは私の家族を避難させてくれただけでなく、ポーランドへの移住も手伝ってくれました』と。

とても胸が熱くなったのですが、彼女の感謝に対して僕は『自分がやったことじゃないですよ』と伝えました。ただ、ADRAのロゴに改めて誇りを感じました。」

言うまでもないが、世界各地に支部を持つADRAは横のつながりを大事にしている。

今回、オーストラリア支部に属するサイランの声を耳にして、日本人スタッフは思い思いに感想を述べた。

「ADRA ロゴは、3人が手を取り合って形成する地球の下に<ADRA>の文字だけが付随する、シンプルなものになっている。世界120か国に支部を持ち、援助活動を行うことから、ADRAに関わる全てのスタッフが、同じロゴをつけて5大陸で活躍している。以前は国名を入れていたが、現在は『One ADRA』がコンセプトのため削除された。

私はADRAに参入してから10か月しか経っていないが、このロゴの本当の重さを知っている。ADRA Japanのスタッフとして、ネパールに駐在して活動しているが、社会的にはADRA Nepalのスタッフとして扱われる。過去のADRA Nepalが行ってきた実績が、勝手について回る。築かれてきた人脈や良き恩恵も受けられるが、苦い評価も複数回耳にした。だからこそ、ADRA ロゴの刻まれたTシャツやバッチを身につける朝は、一度長い深呼吸をして外に出る。自分がADRAの一員として、日本とネパール、そして世界に向けて、何ができるのかと、問われている気がするからだ。ADRAロゴを価値のあるものにするのは、間違いなく私たち一人ひとりだと思う。」

「この話は、私たちにADRAが取り組んでいる活動の価値を教えてくれる一つの例だ。同じ団体で働くものとして、こみあげてくるものがある。と同時に、今回ジーンが味わった感動を、私たちを支えてくださる方々にも味わっていただきたい。そして、喜びを分かちあえたらどんなにいいだろう。そうだ、寄付をしてくださった方々に謹呈するADRAのロゴ入りTシャツを作りたい。それによって、感謝の輪がつながることを願って。」

「ADRAのバスを利用した彼女は、祖国で悲しいことがあっても、避難先の国から生活を立て直し、今、客室乗務員として、ひた向きに仕事に取り組んでいる。ADRAが支援を届けた彼女のその後を、このような機会で目にすることができ、私たちの活動の励みとなった。ADRAのモットーは、人々に寄り添った支援である。この出来事より、支援を必要としている人たちのために、もっとできることがあるのではないかと、感じた。この思いを胸に、活動を続けていきたい。」

「自分の着ている服のロゴを見て、嗚咽するほど感謝の涙を流してもらう人など滅多にいないだろう。この出来事を通じて、ロゴはただのマークではなく、一ADRAスタッフとして、背負っているものだと改めて気付かされた。団体の一員であることを示す証を身に着けるということは、私の言動ひとつで団体の顔を良くも悪くもしてしまう。はたして、ADRAに属している私は、涙を流してもらえるほど喜ばれる支援ができているのだろうかと、弱気な自分が顔を出したりもする。それと同時に<しなければいけない>という気持ちを奮い立たされた。

今回の客室乗務員の女性は、一例である。しかし、自分たちにできることをひた向きに考え、ADRAの支援を届け続けていくことで、結果的に彼女のようにうれし涙を流してくれるような人を増やしていける。と、そんな私たちの活動に意義があるのではないかと感じた。」

「もしジーンがADRAのTシャツを着ていなかったら、このエピソードは生まれなかった。飛行機に乗った乗客の誰しもが、胸のピンバッジからオクサナの故郷を知ることができても、彼女が歩んできた人生を知ることはできなかっただろう。当人のジーンも、客室乗務員として出会った女性と自分の人生が、ADRAという共通点で繋がることなど、想像もしなかったはずだ。

オクサナという一人の女性に、戦争、避難、ADRA、移住という経験があるように、人は誰しも、物語を持っている。人は誰もが、人生と言う物語の主人公だ。そして社会の中で生活している以上、ストーリーには必ず他者との関りがある 。オクサナとジーンのように、その繋がりが思いもよらぬところでわかることもあるが、知らずに終わることも多い。しかしながら、同エピソードの二人のように、自分も世界中の誰かと繋がっているかもしれないと思うと、温かい気持ちに包まれた。そしてジーン同様、ADRAの一員であることを誇りに思うのであった。」

ADRAは「ひとつの命から世界を変える」をモットーに、一人ひとりに寄り添った活動を目指している。サイランの体験は、私たちが掲げているものがひとつ実を結んだように感じられ、胸が熱くなった。

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