ADRA Japan スーダン南部・難民支援
ADRA(アドラ)について / our mission ADRA(アドラ)の活動 / our work

 ADRA Japan メインページ  ⇒   ADRAの活動  ⇒スーダン南部・難民支援  ⇒
Southern Sudan Assistance for Refugees

スーダン難民支援・現地報告2008 Vol.32


6回の引越しなんて、たいしたことない。の巻。

寄付金のお申し込み



スーダン人の物語:エリザベスはペンの力を信じない。の巻     

2008年8月8日    千葉あずさ

私の名前はエリザベス。1979年にエチオピアとの国境町Jekowで生まれました。お家にはお父さんとお母さんとお兄さんが3人、お姉さんが4人いました。牛を育て、畑を耕し、お姉さん達と家事手伝いする。のどかな毎日が続いていました。

戦争と直面したのは1984年、私が5歳の頃。Jekowは大戦地になって、お父さんは町外れで戦死しました。数十キロ先の別の町に逃げたけど、そこも爆撃機が飛び交うところで、一番上のお兄さんが殺されました。もうスーダンにいられない。みんなでエチオピアに逃げました。

sudan

1988年、私が9歳の頃、私の2番目のお兄さんがSPLAに入りました。お父さんとお兄さんの敵を討つんだと、Bongaという難民キャンプのあるところで、軍の訓練を受けました。お兄さんはとても頑張ったので、今ではSPLAの大佐です。自慢の兄さんです。

1991年、エチオピアにいられなくなって、スーダンに戻りました。私は12歳でした。村は、焼き討ちで灰と化していました。何もない。家もないし、牛もいないし、畑もない。希望もなく、またエチオピアに戻る他、ありませんでした。

戦争があってからずっと、特に子供である私にとって、世の中、わからないことだらけでした。たぶん子供だから、普通に色々わからなかったのだけど、でも戦争があったから、ますます、価値観がわからなくなって、何をどうしたらいいのか、混乱してたのです。たぶん、だから15歳で結婚しちゃったのだと思います。今だと、早かったなって思うけど、本当、わからなかったのです。結婚してから、学校に行きたいと思ったけど、もう妊娠してたから行けませんでした。でも、小さい頃からお母さんが読み書きを手ほどきしてくれてて、そのおかげで、自分の名前を書いたり、ちょっと英語の単語がわかったりします。

でもね、思うのです。ペンと紙で、何が伝えられるというのでしょう。私が戦争中に体験したこと、そんなの、本当にこうして書くことで、貴方に伝えられるとは思わないです。


sudan

スーダン便りvol.32 〈了〉
作文:エリザベス
翻訳/編集:千葉あずさ

前の便りへ  スーダン便り2008目次  次の便りへ

 


◆寄付金のお申し込み◆

スーダン難民支援のための義援金を募集しています。
ご協力をよろしくお願い致します。

寄付金のお申し込み

郵便局に備え付けの【郵便振替 払込取扱票】に必要事項をご記入の上、
郵便局の払込窓口にて払込ください。

口座番号:  00290-2-34169
加入者名:  (特活)ADRA Japan
通信欄:  「スーダン難民支援」とご記入ください。

記入例はこちら  

 



お問い合わせ / 個人情報保護について 
Copyright (c) ADRA Japan 1997-2008. All rights reserved.