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スーダン人の物語:エリザベスはペンの力を信じない。の巻2008年8月8日 千葉あずさ 私の名前はエリザベス。1979年にエチオピアとの国境町Jekowで生まれました。お家にはお父さんとお母さんとお兄さんが3人、お姉さんが4人いました。牛を育て、畑を耕し、お姉さん達と家事手伝いする。のどかな毎日が続いていました。 戦争と直面したのは1984年、私が5歳の頃。Jekowは大戦地になって、お父さんは町外れで戦死しました。数十キロ先の別の町に逃げたけど、そこも爆撃機が飛び交うところで、一番上のお兄さんが殺されました。もうスーダンにいられない。みんなでエチオピアに逃げました。 1988年、私が9歳の頃、私の2番目のお兄さんがSPLAに入りました。お父さんとお兄さんの敵を討つんだと、Bongaという難民キャンプのあるところで、軍の訓練を受けました。お兄さんはとても頑張ったので、今ではSPLAの大佐です。自慢の兄さんです。 1991年、エチオピアにいられなくなって、スーダンに戻りました。私は12歳でした。村は、焼き討ちで灰と化していました。何もない。家もないし、牛もいないし、畑もない。希望もなく、またエチオピアに戻る他、ありませんでした。 戦争があってからずっと、特に子供である私にとって、世の中、わからないことだらけでした。たぶん子供だから、普通に色々わからなかったのだけど、でも戦争があったから、ますます、価値観がわからなくなって、何をどうしたらいいのか、混乱してたのです。たぶん、だから15歳で結婚しちゃったのだと思います。今だと、早かったなって思うけど、本当、わからなかったのです。結婚してから、学校に行きたいと思ったけど、もう妊娠してたから行けませんでした。でも、小さい頃からお母さんが読み書きを手ほどきしてくれてて、そのおかげで、自分の名前を書いたり、ちょっと英語の単語がわかったりします。 でもね、思うのです。ペンと紙で、何が伝えられるというのでしょう。私が戦争中に体験したこと、そんなの、本当にこうして書くことで、貴方に伝えられるとは思わないです。
スーダン便りvol.32 〈了〉
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