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Southern Sudan Assistance for Refugees

スーダン難民支援・現地報告2008 Vol.31


現地報告

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スーダン人の物語:チャンバンじいさんの独白。の巻     

2008年8月8日    千葉あずさ

私はもう46歳のじいさんです。自分が子供の時は、戦争なんてなくてですね、平和でしたわ。両親と2人の兄弟と2人の姉妹がいて、畑をたがやし、牛を育て、のどかな農家の生活でした。ヌエールの歌とか踊りとかそういう伝統も、子供の頃に生活に密着してありましてね。今の若者達は、子供の頃が戦争だったから、そういう伝統的なもの、知らないんですわ。かわいそうに。まぁ、そんなこと言ったら、古臭いって思われるかな。


sudan

私が小学生の頃―まぁ大昔なんていわないでくださいよ。笑。教育システムは北からの押し付けシステムでした。そんな学校に子供は行かせない、と親は言うし、親の言うことが絶対だと思ったから、みんなでボイコットしましたよ。村の長老の何人かは、教育が大切だからなのか、北の味方だったからか、私達を学校に行かせようとしました。他の長老達はそれに対立して、アニャニャ2という運動を始めました。そして、アニャニャ2は、北の軍隊と戦いはじめました。
アニャニャ2は、他の運動と連動して、SPLAという団体になりました。

親も自分も、一般市民だったけど、国のために武器を持って戦いました。でも形勢が悪くなったので、武器を置いて、エチオピアに逃げました。あの時は、家族のために一時的に逃げるのであって、戦争にすぐ戻るつもりでした。

それがそれが。キャンプの暮らしが酷かったんですわ。公平なんてあったもんじゃない。これで私がスーダンに戦争しに戻ったら、私達はどうなるのって家族が泣くもんで、しょうがないから20年、ずっとエチオピアの難民キャンプで暮らしました。スーダンに戻ってきたのは、ADRAがやってる帰還民事業のおかげです。難民キャンプで農業とか色々勉強できたし、PagakでNGOの定職にありつけたし、安泰ですわ。後は子供たちが国を変えてくれるのを楽しく眺めるだけで、幸せだと思いますな。

sudan

 

スーダン便31号〈了〉
作文:チャンバン
翻訳/編集:千葉あずさ

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