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Southern Sudan Assistance for Refugees

スーダン難民支援・現地報告2008 Vol.25


★むかしむかしあるところに・・・・スーダンの少女のおはなし。の巻

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むかしむかしあるところに・・・・スーダンの少女のおはなし。の巻

2008/02/20 千葉あずさ


むかしむかしあるところで、(といっても、実は20年前の南部スーダンに、)おんなのこが生まれました。

この小さな赤ちゃんに、お父さんとお母さんは、「Nyapak」と名づけました。Pakとはヌエール語で「欠席」。ニャパックが生まれた日、お母さんは隣村の親戚を訪問する予定だったのに、行けなかったから、「お母さんを欠席させた娘」でニャパックです。
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小さなニャパックはとても元気。すくすくと育ちました。

20年前のスーダンは、戦争中でした。でも小さなニャパックにはよくわかりません。
だって、ここには牛がいっぱいいて、お父さんもお母さんもいて、みんな笑っているんだもの。「兵士」という生き物がいるらしいけど、どういう動物なんだろう?

そんなニャパックにとって、「兵士」より、もっと怖いものがありました。「病気」です。ニャパックが5歳の頃、隣町に行っていたお父さんが、戻る途中で病気にかかって死んでしまいました。お母さんはとてもとても泣いていました。

小さなニャパックはとてもいい子。6歳からお母さんのお手伝いをはじめました。

牛の世話をしたり。
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水汲みをしたり。
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お料理も上手。
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お母さんが外出する時は、お留守番。
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ニャパックは7歳になりました。憧れの小学校に行ける歳です。
友達がみんな学校に行ってます。ニャパックも行きたい。。。
でもお母さんがダメだと言います。お父さんが死んでから、お母さんはいつも忙しそう。だからニャパックがお留守番しなければならないのです。
学校に行く子供達は、とても楽しそう。。。。
ニャパックも、行きたい。。。。 
でも我慢です。ニャパックはお姉さんだから。

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ニャパックが11歳のとき、恐ろしいことが起きました。
とうとう、ニャパックの村にも、「兵士」という動物がやってきたのです!
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その日、村の若者、全てが村から消えました。兵士がやってくるのを迎え撃つのだそうです。何か大変なことが起きる。残された人々、みんなで森に逃げました。

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森の中でじっとしていると、「タタタタタ」と銃声が聞こえました。
3時間、ずっと、タタタタタ。
いつまでも、いつまでも、タタタタタ。
ニャパックは小さな弟達と妹達を抱きしめて、藪の中で息を殺していました。

翌日、お母さんは、故郷を去る決意をしました。

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お母さんの親戚が、エチオピアのガンベラという都市に住んでいます。その一家のところを頼ることになりました。
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都会だから、牛の世話をしなくていい。
蛇口があるから、水を汲まなくていい。
大家族だから、料理もしなくていい。お留守番しなくていい。

ってことは、学校に行ける?
それから毎日ニャパックはお母さんにお願いしました。
「お母さん、学校に行きたい」「お母さん、学校に行きたい」
根負けしたお母さんは言いました。「おじさんが良いって言ったらね」
そして、おじさんは言いました。「行っておいで」
ニャパックはとてもとても、100%以上、嬉しかったです。
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ニャパックが2年生の時、一家はガンベラからちょっと離れた小さな町、コルガンに引越しました。

学校に通い始めてから。ニャパックは本を読むのが大好きになりました。
本を読めば読むほど、色々なアイディアが頭の中に入ってくる。
それはあまりに素敵なことで、ニャパックは勉強に夢中になりました。
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小学校は12年生まであるけど、おんなのこは普通、5年生までしか行けません。お母さんのお手伝いをしなければならないし、あまり教育を受けたおんなのこは結婚できないから。でも、何人かは立派に卒業して、看護婦さんになっています。ニャパックも、学校を卒業して、看護婦さんになりたい。そんな夢を持っていました。

 

ニャパックは15歳になりました。
ちょっと気になる男の子がいます。2つ学年が上の先輩です。
いきなり話しかけるなんて、恥ずかしくて出来ません。
でも、実は、向こうも気があるらしいのです。お互い、チラチラ、学校内で視線を交わしていました。5ヵ月後、やっと彼が話しかけてきて。

会話が始まって。

そして3ヶ月後、彼がおじさんとお母さんに、結婚の申し込みをしに来ました。
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ニャパックは奥さんになったので、学校を辞めました。
1年間、エチオピアの村で生活していましたが、2005年、スーダンの内戦が終了。夫が「故郷のパガックに戻る」と決めたので、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて、国境を越え、パガックに来ました。

スーダンに戻って2年が過ぎました。
ニャパックは、仕事がしたかったのですが、全然見つかりません。2人目の子供が1歳になった頃、あるNGOが人材募集をしていたので、応募したら、受かりました。ニャパックはあまりに嬉しかったので、近所の人たちみんなを呼んでお茶会を開きました。みんなでダンスも踊りました。
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ニャパックは今、20歳。
奥さんで、お母さんで、働く女性です。そして、まだ勉強が大好きです。
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【スーダン便りvol.25 了】
Written by 千葉あずさ
Picture by 千葉あずさ
注:写真はイメージであり、本人が監修しました。

 

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