★「国境にまつわる物語」の巻。
2007/11/18 千葉あずさ
今回はめずらしく、まじめな紛争のお話です。
冷戦後、民族紛争という形態の紛争が増えました。
国家間の戦争ではなく、国内の戦争。
その中でも、人為的に引かれた国境によって分断された民族が、「隣国の同民族」と作用しあい、紛争の原因、及び長期化の一因となるというのは、学術的にも広く知られるところです。
さて。ADRAの事業地、Pagakは、まさに国境地域にあたり、そんな「紛争の事実」を、実体験する、貴重な経験をさせてもらっています。ここはヌエール、アニュアック、エチオピア人の混合する場所。

難しい問題の前に、簡単な問題です。
この中でヌエール人2名、アニュアック1名、エチオピア人1名がいます。貴方には違いがわかりますか?
【人種的な背景】
スーダン国境内側のパガックでは、ヌエール人が一番大きな割合を占めています。肌の色は真っ黒だったり、ちょっと赤みを帯びていたり。エチオピア人は肌がオレンジ色に近く、すぐに違いがわかります。アニュアックというのは、国境あたりに分布しており、一概に違いを言うのは難しいですが、ちょっと赤っぽい肌の色です。(よって答えはヌエールB,C アニュアックA, エチオピアD)
ただ、エチオピアの国境を越えて20分のコルガンというエチオピアの国境町に行っても、人種構成は全く変わりありません。ほとんどがヌエール人です。さらに2時間行ってガンベラという市に行っても、道行く人たちはヌエール人達。
当たり前のことでもありますが、混血も進んでいます。スーダン人の夫にエチオピア人の妻というのは、よくある光景。ハーフの子供も沢山います。

【政治的背景】
ポイントはここです。もともとエチオピア側にもヌエールは多く分布していました。そして紛争のせいで、多くのスーダン・ヌエールが国境を越え、エチオピアの保護下になりました。よって多くのヌエール人が、エチオピアのIDを持ち、二重国籍です。アニュアックは、アニュアックであるだけで、どちらにもなれます。
この地域が複雑なのは。もしくはこの地域が人種的に複雑なことを受け、スーダンの内戦、及びエチオピアの内戦、双方で、この地域は重要な役割を果たしてきました。スーダンの武力勢力はエチオピアに逃げたり、補給を受けたりしてきました。エチオピアの武装勢力も同様です。
これがいかに簡単なことかを目の当たりにする事件が10月にありました。
10月初旬。ヌエール人が国境を越え、エチオピアの反政府勢力に資金を届け、さらにエチオピア側のヌエール人達を動員するという事件がありました。エチオピア政府はただちに行動を起こし、Pagakから100km先の町で、たった1日で彼らを武力制圧。
起こるのもあっという間、鎮圧もあっという間。
その後10日間「国境」は封鎖されました。
それでも。「人の行き来」は止められないのです。
アニュアックはすいすい移動します。
封鎖前にコルガンに行っていたスーダン・ヌエールは、ひっそりと他のエチオピア・ヌエールの中に溶け込んでいたそうです。
きっと、こんなことが、ここでは過去20年間、ずっと続いていたのです。
分断されていることが、紛争の一因。
スーダンという国の紛争を政治的に分析しようとしたら、きっと一文こう書かれるだけかもしれません。
でも、彼らを見ていると、分断されていることで、紛争を優位に立ち回り、自己の欲求を達そうとするしたたかさ。それ以前に、国境に何の意味がある?そんな現実を目の当たりにする。そんなPagakの日々です。
【スーダン便りvol.18 了】
Written by 千葉あずさ
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