〜ロジスティックス・アシスタント「ノア」の紹介〜
事業地でスタッフと関わっている中で当たり前のことを気づかさます。現在、パガックで雇用をしているスタッフの全員が内戦中に難民や国内避難民でした。同じような元難民、元国内避難民はスーダンに何万といるけれども、皆それぞれ異なる難民生活の記憶、想いを抱いているということを。

第一弾で紹介するのは「ノア」です。照れ屋で、忠誠心が強く、まじめで、気が利く、静かに気の強いスタッフです。以下は彼の作文と彼との会話に基づいて作成しています。
「僕の名前はノワルニィです。皆にはノアと呼ばれています。僕はADRAのロジスティックス・アシスタントで、物資の購入や在庫確認、事務所内のスタッフに必要な指示を与え、事務所関係の雑務を担っています。僕はADRAにとても感謝しています。僕は幼いときにエチオピアに渡り、エチオピアにあるDキャンプの難民として育ちました。」
「2007年4月に両親の故郷であるパガックに戻ってきましたが、パガックでどのように生活を始めるか全く予定なくやってきた状態でした。何もない状態だった僕を初めて受け入れてくれたのがADRAでした。エチオピアにいたとき、高校までは行くことができましたが、それ以上の高等教育は財政的な理由から行くことができませんでした。でも僕は今職を持っているから大丈夫です。両親の面倒も今は見られます。ADRAには永遠に感謝します。」
と彼の作文はこのように綴られています。
1985年、3歳から25歳までの22年間、難民生活を続けてきた彼は、そのエチオピアでの難民体験を続けて語ります。
「僕のお兄さんがエチオピアで死んだとき、僕は親に「あなたはいらない」と言われたことがあるんですよね。お兄さんは僕とは正反対で「ジョン・リーダー」と呼ばれるほど、アグレッシブで活動的で指導力のある人で僕とは対照的でしたから。キャンプ・リーダーも学校のスーパーバイザーも兼ねていたんです。僕には大していいことをしてくれなかったけど、コミュニティーにはいいことをしていたから慕われていたんですよね。兄を失い、僕はどうすればいいのだろうと本当に途方に暮れました。兄の子どもと奥さん、自分の家族、そして両親の面倒を自分ひとりでどう見ていけばいいのだろう。兄を失う前に妹も病気で亡くしました。なぜ自分の人生はこんなに上手くいかないのだろう、と本気で悩んだ時期がありました。でも両親の面倒を見られるのは僕だけです。だから両親の面倒を見ることを可能にしてくれた、ADRAに感謝しています」
難民であったことは彼にとっては彼の人生の一通過点に過ぎない。難民を固まりとしてではなく、個人として見るように目を向けさせた彼に私は感謝しています。
ぼくの夢〜わたしの夢
パガックでは銀行もないためもあり、なかなか将来のために貯蓄しようとするスタッフは多くはありません。その中でノアは将来のことをしっかりと考えています:
「僕は機械が好きです。ADRA事務所の中でも家電が壊れたりするときに修理できる場合があります。今ADRAでたくさんのことを学んでいます。ADRAにできるだけ長くパガックにいてほしいが、いつまでもいないかもしれません。僕はADRAがいるうちにお金をためて、エンジニアになるための専門学校に行きたいです。多くの困難で高等教育は中断せざるを得なかったけれど、今は少しずつ過去を取り戻せる可能性が出てきました。姉がまだエチオピアの難民キャンプで住んでいます。彼女がパガックに帰ってきたら両親と一人息子の面倒を見てもらえます、そしたら僕は専門学校に行くことを計画しています。」
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2009.04.24更新