
ADRA Japanは現地で活動するADRAフィリピン支部と協力して支援を開始しました。
ADRA Japanは2009年10月3日、職員1名をフィリピンに派遣し、(特活)ジャパン・プラットフォーム(以下、JPF)より助成を受け、フィリピン水害被災者支援初動調査を開始しました。ADRA Japan職員が調査をした被災地はどういう状況だったのか。以下報告です。
多くのNGOが水害被災者援助を開始していますが、地方への基盤がないためマニラ圏内を中心とした援助活動ばかりが展開されています。震災直後からラグナ州はOCHAにて「最優先地域」と言われながらも他のNGOが入れずにいる地域の1つで、まだどの国際機関やNGOも活動していない状況でした。
特にビニャン町の水害はひどく、震災一週間後も水深は膝や首までありました。さらに台風パルマが10月3日にフィリピンを通過しました。ADRA職員が調査に入った頃には、上流のダムが放水を実施し、水量が増加、避難センターの一階部分が浸水したため、避難民が再避難をする状況でした。

ビニャン町に隣接するサンペドロ町にも調査に出ました。ビニャンの次に、水没地域の大きな町です。現地行政機関を訪問すると、この土地はマニラからの高速道路が直通していることから比較的物資が入っていることが判明。また、災害対策を担当しているDepartment of Social Welfare and Development (DSWD) の担当官ファティマ氏からも続々と支援機関が支援の申し出をしている旨を聞きました。
以上から、ADRA Japanはビニャン町にて、どのような支援が必要なのかを検討しはじめました。
ビニャン町マラバン村は、村のほとんどが浸水、水没しています。水が膝までの高さであれば歩けますが、腰、頭までのところでは茶色ににごる水の中で自由に移動をするわけにもいかず、船を使って移動をすることになります。1階部分は半分以上が水没しているため、多くの人たちが屋根の上や2階で生活をし、鶏や飼い犬までが屋根の上を歩いていました。
水面にはゴキブリの死体、ねずみの死体、汚物などが浮き、衛生状態は劣悪な状態でした。


洪水で家を壊された人、また家が水没して家に戻れない人が避難センターに押し寄せていました。センターとは言っても、もともとは小学校や中学校であり、日中は授業が行なわれています。校舎の70%が避難民用にあてがわれ、30%が教室として使われています。子供たちは短縮授業(半日)を受けることで、この調整を可能としていますが、この体制が長期に渡る場合には、子供たちの教育に影響を与えることになってしまいます。
また、学校が施設の水道代、下水代、電気代を負担していることから、そのコストは莫大なものとなり、「消灯時間」「節水」などが設けられるようになり、避難民の生活は厳しいものになっています。
ひとつのクラスに16家族(1家族約5人なので、80人)が暮らす状況であり、一番の必要とされるものは全員一致で「食料」でした。
また、みなコンクリートの床にダンボールを敷いて寝る、もしくは生徒用の椅子を並べてその上で寝ている状態であり、充分な睡眠が取れない環境にありました。蚊の発生により、マラリアやデング熱の脅威も近い状況でした。



以上のような調査の結果、被災者家族が自力で食料調達できる可能性は非常に低く、短期的な食料配布は急務であることが分かりました。また現在避難センターに滞在している被災者は、寝具などを持っておらず、この雨季、台風の寒い季節に暖を取る術がないこと、また洪水が引いた後の水溜りでは蚊の大量発生が予測され、マラリアやデング熱などの脅威も迫っていることから、二次災害を防ぐためにもマット、毛布、蚊帳の配布が被災地域では焦眉となっているため、再度行政とニーズの確認を行ない、事業計画を立てました。
支援物資を受け取りに並ぶ人々

支援物資配布の様子については、
http://blog.canpan.info/adrajapan/category_9/
フィリピン水害被災者支援の第七報、第八報をご覧下さい。
フィリピンでの活動は、今後もホームページにて紹介していきたいと思っています。
みなさまからのこれまでのご支援に心から感謝するとともに、引き続きのご支援をどうぞよろしくお願いします。