NPO法人 アドラ・ジャパン ADRA Japan
6
ADRAって?

スタッフ紹介

ADRA Japanで働いているスタッフをご紹介します。

石井 光男
橋本 笙子
支部長・石井 光男 事業部長・橋本 笙子
 
事業部
伊丹 知子 小出一博 会田有紀 須原 敦 千葉あずさ 寺脇 麻衣
伊丹 知子 小出 一博 会田 有紀 須原 敦 千葉 あずさ 寺脇 麻衣
石橋 和博 内田 順子 神田 佐知 渡辺 日出夫 横山 雅子 幸村 真希
石橋 和博 内田 順子 神田 佐知 渡辺 日出夫 横山 雅子 幸村 真希
 
管理部
渡辺 千里 >山田 千晶 >永井 温子
渡辺 千里 山田 千晶 永井 温子


 

ADRA Japan支部長(常務理事)
石井 光男(いしい みつお)

石井 光男
経歴
1981年から22年間、米国カリフォルニア州にある日系人セブンスデー・アドベンチスト(SDA)キリスト教会牧師として従事。その間、ベトナム戦争後に難民となったベトナム人やラオス人などのタイにあるインドシナ難民キャンプへの慰問や米国に移住してきたインドシナ難民に対しての識字教育・職業訓練などを通して、難民の自立支援活動を行う。また同時期に学生ボランティアを率いて、タイ・カンボジア・メキシコなどで井戸掘り、小学校建設などの活動を行う。
1997年から南カリフォルニアにある日本語補習校の校長に就任。2002年に帰国し、ADRA Japan支部長に就任。現在、事務局責任者として世界中を飛び回り、日々奮闘中。
メッセージ
人々との新しい出会いが大好きです。日本において支援者の方々とお会いする時も、各国のADRA事業地を訪問している時でも、それぞれの人生を歩んできた人々と出会い、時間を共有することによって心の栄養をいただいています。苦しんでいる人や困難な状況にある人々のところに行き、その人たちの困難な状況を理解し、苦しみを共有し、その苦しみから一刻も早く解放されるための支援を行うことが、自分に与えられた使命と感じています。キリストは、自分がこの世に生まれて来た目的は「神に仕え、人に仕えること」である、また「人にして欲しいと望むことは、人びとにもその通りにしなさい」と言われました。キリストの教えられた自己犠牲の愛を言葉で理解するだけでなく、行動に現していく人でありたいと願っています。また、それが一日だけでなく、毎日継続していけるように祈りながら歩んでいきたいと願います。

 

 

事業部

事業部長(国内・海外事業総括、総務担当
橋本 笙子(はしもと しょうこ)

橋本 笙子
経歴
システムエンジニア、短大講師の傍ら、野外活動指導者として青少年育成活動に携わる。1988 年、ADRA の青年海外ボランティア活動であるマレーシアでの井戸掘りに参加。その後も仕事を続けながらADRA Japan のボランティアとして海外プロジェクトに参加し、国内ではデータベース作成など事務処理のボランティアとして関わりながら、国際協力について学ぶ。1996 年にADRA Japan のスタッフとして広報を担当し、1999 年からは団体の運営・事業全般に関わる。特にコソボ、リベリア、スーダン(ダルフール・スーダン南部)、中国四川大地震などの緊急救援事業で成果をあげる。現在は事業部長として、緊急救援事業、開発支援事業、国内事業全般を統括している。2児の母。
ジャパン・プラットフォーム(JPF)NGOユニットの副代表幹事、日本UNHCR-NGOs評議会(J-FUN)の共同議長、災害即応パートナーズ(PDR)の共同代表などを歴任。
Marie Claire2009年3月号の「プラネット・ウーマン100」に選ばれる。
メッセージ
ボランティアでADRAの活動に参加し、マレーシアに井戸掘りに行ったのが1988年。会社勤めをやめ、ADRAにフルタイムでかかわるようになったのが1996年。多くの出会いの中で、多くの方々に支えられ、今まで活動することができました。これからも出会いを大切にしていきたいと思っています。

 

開発事業担当マネージャー
伊丹 知子(いたみ ともこ)

伊丹 知子
経歴
大学で国際関係を専攻し、特に民族紛争や平和構築について学ぶ。在学中に、ADRA Japanのコソボ・ボランティア・プログラムに参加。2002年、JICAウズベキスタン事務所の日本センターにてインターンを経験。ADRA Japan東京事務所のインターンを経て2003年より海外事業・人材育成事業・国内事業を担当し、モンゴル・ミャンマー・ラオス・ベトナム等における学生ボランティア派遣事業、日本・コソボ平和交流事業、新潟中越地震被災者支援事業などを担当。1年のベトナム駐在後、2008年より東京事務所のプログラム・マネージャーとしてアジア地域で実施する開発事業と人材育成事業を統括する一方、国内事業にも従事。
メッセージ
私がADRAの仕事を始めた2003年、スタッフは5人でした。それが2008年現在、専従インターンを含めて17人と3倍以上に増えました。規模が大きくなるにつれて、一人ひとりの能力を発揮することに加え、「組織」としての基盤整備が問われてきていると感じています。昨年末に行われた全体会議では、各スタッフが日々感じている疑問点・アイデアなどを全員で話し合うことにより、より良い団体運営のための方向作りをすることができました。
今後も開発事業を通して、現地の人々とともに成長していきたいと思っています。また、皆様に私たちの活動をより理解してもらえるように情報発信していきますので、ご支援をよろしくお願い致します。

 

開発支援
小出 一博(こいで かずひろ)

小出一博
経歴
大学生活が終わり近い夏休みに、農業系ワークキャンプに参加。畑の草取りの合間にプチトマトを食べた瞬間に、自身の中で何かがはじけてしまった!
国際協力の技術を身につけようと、農業を志して就農。15年あまり、有機栽培で野菜を育て宅配をしていた。その後、紆余曲折をへて2007年末にADRA Japanのスタッフとなり、ラオス事業のプロジェクト・マネージャーとしてラオスに派遣される。現在、自宅で塾を営む妻、高三の娘、高一の息子、犬2匹、ネコ3匹、たくさんのニワトリを千葉県成田市に残して、ラオスでの農業に新たなる闘志を燃やしています。
メッセージ
ラオスの首都ビエンチャンから飛行機で1時間(車だと24時間)、北部ルアンナムター県の県都から車でさらに4時間。ミャンマーとの国境に程近い焼畑地帯の対象村にも、グローバリゼーションの波が押し寄せてきています。100年かけた日本の伝統社会から近代社会への移行を、10年の速さと密度でこれから経験していくものと思われます。すでにさまざまな歪みが顕在化してきています。
環境と調和して生きる現地の人たちの知恵に学びながら、社会、農業、多様な民族文化が共存していけるようなコミュニティーづくりのお手伝いをしたいと考えています。

 

開発支援
会田 有紀(あいだ ゆき)

会田有紀
経歴
大学で教育学を専攻後、民間企業に勤めました。しかし、国際支援の現場で働
く夢を捨てきれず、5年で退職しました。その後、大学院で再び教育学を学
び、外務省NGO専門調査員としてADRA Japanに派遣されました。派遣期間終了
後もADRA Japanで働き、2009年で3年目です。会計、支援者窓口、国内災害、
ネパール事業を経て、2008年からベトナム事業を担当。
メッセージ
日本の支援者の方々に、ADRAの活動とベトナムの人びとをもっと身近に感じていただくための橋渡しとなることが出来れば、と思っています。引き続き、みなさまのご支 援をよろしくお願いします。

 

開発支援
須原 敦(すはら あつし)

須原 敦
経歴
大学では政治学や言語学など、関心のある分野にあれこれと手を出していました。ADRA、そして国際協力と関わるきっかけは、大学1年生の時に参加したモンゴルでの学校建設ボランティアへの参加でした。その後、教育や経済開発、医療支援への興味を抱きつつ、大学院修了後は製薬会社に入社。数年間、北海道で医療用医薬品の営業をした後、2008年4月からADRA Japanのネパール事業を担当しています。
メッセージ
ネパール医療チーム派遣事業には、学生のときにもボランティアで参加しました。その頃から大きく変わったものもありますが、まだまだネパールは政治的にも経済的にも安定していません。水や電気の供給も滞りがちですが、そんな中で毎日たくましく生きるネパールの人たちに触れるたび、彼らのエネルギーと明るさ、生命力に驚かされます。
首都では携帯電話やiPodを持つ人が増える一方、農村部の一般家庭にはいまだにテレビもなく、字が読めない人もたくさんいます。都市と地方の格差は広がり、同じ国にいるのに全く違う時代を生きているような感覚です。現地の人たちが求めていることは何なのか、しっかり見極めながら今後も事業を進めて行きたいと思います。


緊急支援
千葉 あずさ(ちば あずさ)

千葉あずさ
経歴
本を沢山読む子供でした。夏休みにはよく、第二次世界大戦に関する本を読んでいました。「こんなに悲しくて苦しいことなのに、どうして今でも戦争はなくならないのだろう?」その素朴な疑問が、大きくなるに従い「戦争はどうしたらなくなるのだろう」「どうしたら被害者は減るのだろう」という関心に変わっていきました。大学時代にバックパッカーとして40カ国以上を旅し、その時に国際協力のプロフェッショナルという職業があることを知りました。
職業が存在する、つまり自分も貢献できるのではないか。思いついたら止まりません。企業で3年勤務した後、英国に留学。戦後復興の修士号を取りました。
その後は色々な団体で、アフガニスタン、パキスタン、スーダン南部、ジンバブエと勤務し、緊急支援や復興支援の経験を積んできました。私のADRA歴はスーダン南部事業から始まります。
メッセージ
2年間のスーダン勤務を終え、2009年4月より東京事務所に勤務しています。
「東京事務所の仕事って何?」東京の仕事は、「橋渡し」。みなさんと現場をつなぐ役です。緊急事業の運営以外に私が担当している仕事は、資金調達とスタッフの教育。資金調達はADRAを支援してくださる方々が、より関わりやすくなるお手伝い。そしてスタッフの教育とは、みなさんからの支援を現場で最大限に活かせるよう、スタッフの技能を向上させるお手伝いです。これからもADRAスタッフの、そしてみなさん一人ひとりの気持ちを、大切につなげていきます。

 

緊急支援
寺脇 麻衣(てらわき まい)

寺脇 麻衣
経歴
10代の頃から国際協力の現場で働きたいと強い思いを持っていましたが、大学4年生時にアフガニスタンの日本大使館にて草の根無償資金協力案件に携わったことをきっかけに、特に緊急支援や紛争後復興支援への関心が高くなりました。
大学院では戦後復興について学び、リベリア、アメリカのNGOでのインターンを経て、2008年5月からADRA Japanに勤務。スーダン事業の担当として現地に駐在し、帰還民支援事業の業務調整を行なっています。
メッセージ
スーダンに駐在をしてから1年が経ちました。(2009年6月現在)
ADRA Japanのスタッフとして派遣されている私にとっての1年はあっという間でした。しかし、本国スーダンに帰ってきた帰還民にとっては、多くの課題に直面した大変な1年であったと思います。
今後も支援者の方々と一緒に、スーダン南部の帰還民の生活再建や復興のために尽力していきたいと思います。

 

緊急支援
内田 順子(うちだ じゅんこ)

内田 順子
経歴
大学で法律を学んだ後、大学院で開発や国際政治全般を学びました。日本のNGOでのインターン、その後在スーダン日本大使館で草の根無償資金協力に関する業務に就き、スーダン各地を訪問し様々な事業に携わりました。コミュニティーやそれに向き合うNGOの人たちとともに過ごす中で、事業の実施に関わりたいと思い、NGOで働きたいと思うようになりました。
2009年4月よりADRA Japan現地駐在員としてスーダン・アッパーナイル州パガックに駐在しています。
メッセージ
噂に聞いていたものすごい田舎、パガック。実際に来てみたら、私の田舎より人口は多く、農業で成り立つこの村ののんびりした雰囲気はどこか故郷を感じるものでした。しかし、日本とは圧倒的な発展の度合いに差があります。戦後間もないスーダン、人もモノもどういう風に変わっていくのか楽しみです。
電気もなく車もほとんど走っていない村なので人々はトヨタもパナソニックも知りません。でもADRA Japanのことは知っています。日本の皆様のご支援と思いやりを現地の人々に手渡す最終請負人であることの責任感を噛み締め、初心を忘れず、スーダンの人々ために貢献できるよう努めます。

 

 

緊急支援
神田 佐知(かんだ さち)

神田 佐知
経歴
大学卒業後、シンガポールのNGOで青少年教育に携わる。その後JICAのボランティアとして2年間、ブラジルで日本語教育に従事する。帰国後、大学院に進学し、国際開発研究科にて教育開発を専攻。2008年4月よりADRA Japanで、中国四川大地震被災者支援事業、ペルー地震復興支援事業を担当。
メッセージ
ペルーと中国の地震被災者支援事業の担当となり、被災者の方々に残された震災の爪あとがいかに深いものであるかを知るようになりました。そして、同時に被災者の方々のたくましさも知りました。
日本の支援者のみなさまからは多くの暖かいご支援を頂き、現地では非常に喜んでいただきました。一口に「復興」といっても、その道のりは本当に長く難しいものですが、被災地の方々が自らの足で再び歩めるように手助けをするのがADRA Japanの復興支援です。
今後もみなさまの支援を確実に現地へ届け、被災者の方々の新しい生活をサポートするために励んでいきます。


緊急支援
石橋 和博(いしばし かずひろ)

石橋 和博
経歴
小学生の時に高校生の姉と兄がADRA Japan海外ボランティアプロジェクトに参 加していたのをきっかけに、私自身も高校生時代に2回、ADRA Japan海外ボラ ンティアプロジェクトに参加。三育短期大学英語コミュニケーション学科を卒 業し、海外留学の夢をかなえるためオーストラリアにあるアボンデール大学付 属英語学校に入学。2005年より同大学の国際協力学科及びマスコミュニケーシ ョン学科を専攻。在学中の2006年より長期休暇を利用して、ADRA Japanで事 務局インターンとして活動。2008年に大学卒業後、ADRA Japanに入職し、ミャ ンマー・ジンバブエ・インドネシアと3カ国の緊急支援事業に携わる。自ら撮 影したジンバブエ被災者支援事業の映像を編集して「第1回ドキュメンタリー 動画祭」に応募し、【優秀賞】を受賞。一児の父。
メッセージ
「百聞は一見にしかず」といいます。高校時代にADRA Japanに関わって以来、 そのことを強く感じます。やはり人から聞いた情報と、現地に行って目で見て 確かめた情報では訴えかけてくるものが大きく違います。その差を埋めること ができるように、現地からの写真やビデオなどで現地の状況をわかりやすく皆 様に伝えていけたらと思っています。

 

 

 

国内事業
渡辺 日出夫(わたなべ ひでお)

渡辺 日出夫
経歴
国立清水海上技術短期大学校卒業後、客船飛鳥のホテル部スタッフとして世界各地を巡る。1998~2001年、ADRA Japanスタッフとしてモンゴルストリートチルドレン、西インド地震被災者支援などの事業に携わる。2001年よりカナダに語学遊学し、帰国後は自然体験活動指導員などの資格も活かして、海外ボランティアなどの青少年育成事業に従事。2008年4月よりADRA Japanに復職し、国内事業を担当。(防災士、危険物取扱者、日赤救急法救急員、海上特殊無線技士、中型自動車免許など10資格以上を有する)
メッセージ
高校生の時にヤップ島小学校の給水施設拡充のADRAボランティア・プロジェクトに参加しました。その後、学校では学ぶことのできない多くのことを計10回のADRAボランティア・プロジェクトを通して体験しました。それらの経験がなければ、今の自分はいません。
国内外で培った経験と様々な資格を活かして、皆様に多くのことをお伝えすることができると思っています。サンライズマンは「熱い想い」を皆様にお届けします!


事業部
横山雅子(よこやま まさこ)

横山 雅子
経歴
私が通っていた小学校には世界平和の願いを込めたユネスコ委員があり、その委員長を務めた事が私の「国際親善・協力」への一歩です。その後、高校生時代に立ち上げたボランティアグループで、フィリピンの恵まれない子供たちへの物資援助を行なった経験が、更に国際協力への道に進む後押しをしてくれました。大学に進学し、法学・国際法を学んだ後、日本の会議企画・運営会社にて勤務しました。その後、アメリカの大学院にて紛争解決・平和構築を専攻。
卒業後は、外務省の平和構築人材育成事業研修を経て、国連開発計画(UNDP)ネパールにて国連ボランティアとして1年半勤務しました。
2010年4月よりADRA Japanにてスーダン南部事業を担当しています。
メッセージ
神々しい世界一の山、エヴェレストがそびえるネパールで、1996から2006年までに内戦があった事を皆さんは知っていますか? ある村人は「反政府派の軍人が村にやってきたあの日、12歳だった娘は忽然と消えた」と言います。ネパールに限らず紛争の犠牲者はいつも何の罪もない市民で、生き残ったとしても精神的苦痛を抱えている事が多く、生活の基盤を立て直すことはとても難しい状況です。私はこのように何らかの困難に遭った人々が今後持続的に自活していける豊かな環境づくりを、私にとって新たな地、スーダンでお手伝いしていきたいと思っています。

事業部
幸村 真希(こうむら まき)

幸村 真希
経歴
かつては日本の中学校で先生になろうと思っていた私。しかし、(日本の子どもを取り巻く環境にも様々な問題はあるにせよ、)世界にはもっともっと厳しい環境で生きている子どもたちがいることを知り、少し方向転換をして国際協力の道に進むことを決めました。その後、大阪大学大学院の国際公共政策研究科でアフリカの内戦と子ども兵について研究をし、フランス・ストラスブール大学では国際法などを学びました。在学中にインターンシップや調査で東ティモール・ウガンダ・スーダン南部を訪れて、将来にわたってこの仕事をしていきたいと確信しました。現在は、ADRA Japanでの勤務を通じて、日々勉強中です。
メッセージ
私の夢は、世界中の子どもたちを笑顔にすることです。限りない可能性をもつ子どもたちが目標をもち、その実現に向けて自らの能力を発揮していく。そんな環境をつくることは、私たち大人の役割です。このような思いは、多くの人々に共感していただけるものではないでしょうか。どうか、地球の裏側にあるひとりひとりの命について、ADRAの活動について、関心をもち続けていただければ嬉しいです。


 


管理部

財務部長、総務(広報)担当
渡辺 千里(わたなべ ちさと)

渡辺 千里
経歴
広島三育学院高等学校在学中より、ADRAのマレーシアでの井戸掘りやネパールでの建築プロジェクトに参加。大学在学中にも、ボランティア・プロジェクトに参加し、合計6回の海外ボランティアを経験。東海大学を卒業後、ADRAの支持母団体であるSDA教団青年部勤務。レクリエーション・インストラクター、キャンプ・ディレクターの資格を活用しながら、青少年団体のキャンプ企画やADRAのボランティア・プロジェクト、阪神・淡路大震災のボランティア派遣に従事。その後、出産・育児を経て、外務省NGO専門調査員としてADRAに勤務。
「NGOの広報」に関する報告書をまとめ、以後ADRAの広報を担当。広報業務に従事しつつ、独自に会計を学び、現在、ADRA Japanの財務部長およびADRA News、パンフレット、年次報告書などの作成をおこなっている。2児の母。
メッセージ
現在は子育て中ということもあり、海外に行き、直接支援活動に携わることはありませんが、過去6回、海外ボランティアに行っていた頃の思いを今も忘れることはありません。数週間に渡る竹テントでの蚊帳&寝袋生活や、3日に1度のバケツシャワー。過酷な生活とは裏腹に、現地の人の素敵な笑顔に元気をもらい、自然の恵みを肌で感じ、すべての事に感謝することを学びました。
今、与えられている場所で、最善を尽くすということをモットーに、ADRAの健全な運営を目指し、またADRAの活動を分かりやすく伝えるべく日々邁進しています。
会計も広報も独学なため、至らないところも多々あるかと思います。是非、皆様からのご意見やご感想をお寄せ下さい。より良いものを作れるよう、努力していきたいと思います。

企業連携担当
山田 千晶(やまだ ちあき)

>山田 千晶
経歴
スポーツ少女でした。幼少時代は、ソフトボールのリトルリーグに所属し、4年間毎日カラスが鳴くころまで校庭でボールを追いかけていました。
高校では、入部したテニス部は知らない間に強制退部、それからは憧れの先輩を追いかけ、泣いて笑って過ごした3年間でした。
野菜のお医者さんになることを夢見て入学した大学農学部、田植えの実習、トラクター運転実習なども文句をいいながらも何とかこなし、3年時にはバックパックで旅行したヨルダン、そしてアラビア文学の魅力に取りつかれ、農学部の勉強はそっちのけになりながらも無事卒業。卒論は、中東和平についてを書くがゼミの先生にはなかなか受け入れてもらえず。卒業後は、アラビア語の専門学校に入学。1年半後に、渡ヨルダン。アラビア語取得に満足し、その後、自然資源学を学ぶためイギリスの大学院に入学。フィリピンに3カ月滞在し、修士論文を完成。帰国後は、ずっと憧れだったホテルマンとして日本で1年間働き、そしてADRA Japanへ。
メッセージ
3年3カ月のラオス勤務を終え、2009年7月より東京事務所に勤務しています。
ゆったりとしたラオスの生活から、慌ただしい日本の生活に自分が適応できるかと心配していましたが、「慣れ」とはすごいものですね。今は、仕事を含め、日本の生活を満喫しております。初めて従事する業務、そして支援者の皆様とのやりとり、募金活動に本日も全力疾走しております。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

会計、支援者サービス
永井温子(ながい あつこ)

永井温子
経歴
大学は国際学部に通い、世界の国際関係、経済、文化等、幅広く学ぶ。学びの中で国際協力に関心をもち、在学中、スタディツアーやADRAコソボボランティアプロジェクトに参加。大学卒業後、JICA本部でのアルバイト、数か月間のADRAインターンを経験後、「3年、タイに行ってくれないか」というチャンスが舞い降り、JICAの開発パートナー事業(生ゴミを含む分別とリサイクルの実践)に携わる。プロジェクトマネジメント等を独学で学びながら、現地コーディネーターを精力的に勤める。帰国後、タイでの修行の成果を生かしつつ、もっと国際協力について学びたい、貢献したい、という思いを持って、私に国際協力の奥深さと意味深さを教えてくれたADRAの門をたたく。(コンコン)
ネパール事業全般を担当し、現地にて、簡易保健所建設、口唇口蓋裂医療チーム派遣、ナマステ基金、洪水被災者支援等の事業運営に突っ走り、その反動で(?)2008年に結婚、出産の波に乗る。子どもが1歳になったところで育児休暇を終え11月(今月)に職場復帰。現在は管理部で、会計の仕事を勉強中。
メッセージ
コソボで私を襲ったショックを思い出すと、今でも皮膚が緊張します。私が笑っていたとき、逃げまどい、殺された人がいた。飢えに苦しんだ人がいた。そしてそれは、残念ながら今この瞬間にも世界のどこかで起こっていること。この時代に日本に生まれた私は、もしかしたらそういうことに一切関心を払わずに、世界の見知らぬ人のために心を痛めることもなく、一生を終えることもできたかもしれません。でも、私はこの道を選びました。子どもを産んで初めて
わかったこともたくさんあります。途上国のお母さんや被災地のお母さんがどんなに大変な思いをして子どもを産み育てているか、それを考えると涙が出そうになります。私が大切な我が子を保育園に預けてまでする仕事はこの仕事です。謙虚に、でも胸を張っていたいと思います。
私たちの活動は、皆様の応援を頼りにしています。これからもご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたしします。

 

 

2010.06.01更新

リンクと著作権について / 個人情報保護について