スタッフ一覧
ADRA Japanで働いているスタッフをご紹介します。
事業部
管理部
スタッフ紹介
ADRA Japan支部長(常務理事)
浦島 靖成(うらしま やすなり)
- 経歴
- 学生時代、三育学院のボランティアサークルATI(アジアとともに生きる会)に入会。タイ、インドネシア、スリランカで行われた、教会堂や校舎などの建築活動に参加。卒業後、三育学院・宮崎・都城・広島三育学院・札幌の各教会牧師を経て(途中1年半フィリピンに留学)、2011年4月よりADRA Japan 支部長補佐。家族は、妻と娘と犬。妻は2011年夏に第二子出産予定。
- メッセージ
- ADRA は、聖書に書かれている黄金律(人からしてほしいと思うことを人にもその通りにしなさい)を体現する場であると思います。「自分が何をしたいのか」ではなく、「相手が何をしてほしいと思っているのか(相手の必要は何か)」にいつも焦点を当てつつ、活動を展開することができればと願っています。ADRA Japan の歩みが支えられるよう、皆様のお祈りの内に覚えていただけたら幸いです。
事業部
事業部長(国内・海外事業総括、総務担当)
橋本 笙子(はしもと しょうこ)
- 経歴
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システムエンジニア、短大講師の傍ら、野外活動指導者として青少年育成活動に携わる。1988 年、ADRA の青年海外ボランティア活動であるマレーシアでの井戸掘りに参加。その後も仕事を続けながらADRA Japan のボランティアとして海外プロジェクトに参加し、国内ではデータベース作成など事務処理のボランティアとして関わりながら、国際協力について学ぶ。1996 年にADRA Japan のスタッフとして広報を担当し、1999 年からは団体の運営・事業全般に関わる。特にコソボ、リベリア、スーダン(ダルフール・スーダン南部)、中国四川大地震などの緊急救援事業で成果をあげる。現在は事業部長として、緊急救援事業、開発支援事業、国内事業全般を統括している。2児の母。
ジャパン・プラットフォーム(JPF)NGOユニットの副代表幹事、日本UNHCR-NGOs評議会(J-FUN)の共同議長、災害即応パートナーズ(PDR)の共同代表などを歴任。
Marie Claire2009年3月号の「プラネット・ウーマン100」に選ばれる。
- メッセージ
- ボランティアでADRAの活動に参加し、マレーシアに井戸掘りに行ったのが1988年。会社勤めをやめ、ADRAにフルタイムでかかわるようになったのが1996年。多くの出会いの中で、多くの方々に支えられ、今まで活動することができました。これからも出会いを大切にしていきたいと思っています。
ラオス事業担当
小出 一博(こいで かずひろ)
- 経歴
- 大学生活が終わり近い夏休みに、農業系ワークキャンプに参加。畑の草取りの合間にプチトマトを食べた瞬間に、自身の中で何かがはじけてしまった!
国際協力の技術を身につけようと、農業を志して就農。15年あまり、有機栽培で野菜を育て宅配をしていた。その後、紆余曲折をへて2007年末にADRA Japanのスタッフとなり、ラオス事業のプロジェクト・マネージャーとしてラオスに派遣される。現在、自宅で塾を営む妻、高三の娘、高一の息子、犬2匹、ネコ3匹、たくさんのニワトリを千葉県成田市に残して、ラオスでの農業に新たなる闘志を燃やしています。
- メッセージ
- ラオスの首都ビエンチャンから飛行機で1時間(車だと24時間)、北部ルアンナムター県の県都から車でさらに4時間。ミャンマーとの国境に程近い焼畑地帯の対象村にも、グローバリゼーションの波が押し寄せてきています。100年かけた日本の伝統社会から近代社会への移行を、10年の速さと密度でこれから経験していくものと思われます。すでにさまざまな歪みが顕在化してきています。
環境と調和して生きる現地の人たちの知恵に学びながら、社会、農業、多様な民族文化が共存していけるようなコミュニティーづくりのお手伝いをしたいと考えています。
ラオス事業担当
会田 有紀(あいだ ゆき)
- 経歴
- 大学で教育学を専攻後、民間企業に勤めました。しかし、国際支援の現場で働く夢を捨てきれず、5年で退職しました。その後、大学院で再び教育学を学び、2007年に外務省NGO専門調査員としてADRA Japanに派遣されました。派遣期間終了後もADRA Japanでスタッフとして働いています。会計、支援者窓口、国内災害、ネパール事業、ベトナム事業を経て、2009年11月よりラオス事業の現地調整を担当しています。
- メッセージ
- 国際支援の経験がなかった私は、ADRA Japanの仕事を通じて、国際支援について教えられ、学んできました。これからも、日々の出来事や出会う人々から学びながら、ラオス事業とともに成長していきたいです。どうぞよろしくお願いします。
ラオス事業担当
田邉 宙大(たなべみちひろ)
- 経歴
- 大学を卒業し民間会社に3年間勤務した後、2008年9月に渡英。アフリカの紛争と貧困の相関性に興味を持ちつつ、大学院で平和学を学ぶ。2009年10月より国際協力をしている団体で勤務し、2010年1月からは南部アフリカのマラウイで開発援助事業に携わるが、事業運営や資金の有効活用、自立支援の難しさを体感する。2010年9月よりパキスタンの水害緊急支援のため現地で物資配布・調達を行い、現地スタッフと仕事を超えた関係を築きながら、同国の国民性に感銘を受ける。2011年4月よりADRA Japanで勤務開始。
- メッセージ
- ADRAの持つ全世界的なネットワークと、教会が母体となっている宗教的なバックグラウンドに興味を持ち、この春より働かせてもらっています。じっくりと足を着けて仕事をすることで、自分の中のキャパシティを広げて、新しい専門分野も開拓していければと思っています。
ネパール事業担当
須原 敦(すはら あつし)
- 経歴
- 大学では政治学や言語学など、関心のある分野にあれこれと手を出していました。ADRA、そして国際協力と関わるきっかけは、大学1年生の時に参加したモンゴルでの学校建設ボランティアへの参加でした。その後、教育や経済開発、医療支援への興味を抱きつつ、大学院修了後は製薬会社に入社。数年間、北海道で医療用医薬品の営業をした後、2008年4月からADRA Japanのネパール事業を担当しています。
- メッセージ
- ネパール医療チーム派遣事業には、学生のときにもボランティアで参加しました。その頃から大きく変わったものもありますが、まだまだネパールは政治的にも経済的にも安定していません。水や電気の供給も滞りがちですが、そんな中で毎日たくましく生きるネパールの人たちに触れるたび、彼らのエネルギーと明るさ、生命力に驚かされます。
首都では携帯電話やiPodを持つ人が増える一方、農村部の一般家庭にはいまだにテレビもなく、字が読めない人もたくさんいます。都市と地方の格差は広がり、同じ国にいるのに全く違う時代を生きているような感覚です。現地の人たちが求めていることは何なのか、しっかり見極めながら今後も事業を進めて行きたいと思います。
ネパール事業担当
小川 真以(おがわ まい)
- 経歴
- 大学では、大きな産業が育ちにくい途上国での観光開発を専攻。大学卒業後は民間企業で営業職として勤務していました。いろんな業種・職種の方と出会えた経験は今にもつながっています。その後、以前から興味のあったJICAボランティア事業に参加し、ネパールとケニアでコミュニティ開発の活動に従事。温かい地域の人たちに恵まれ、もっと草の根レベルで町や村の人たちと関わる仕事をしたいと思い、NGOで働きたいと思うようになりました。2011年5月よりネパール事業担当として勤務しています。
- メッセージ
- マイクロバスに乗っていると、小さな赤ちゃんを見ず知らずの私の膝の上にちょこんと預けるお母さん。「いま何時?」と、知らないおばちゃんが私の腕をつかんで、腕時計を見ようとする。「チヤカエラザヌス!(お茶飲んでいきなさい)」と何度も誘ってくれる、数えきれないほどのご近所さん。そんな温かい人と人との関係がネパールにはまだまだたくさん残っています。その一方で10年にも及んだ内戦の爪跡が生活の様々な部分に影を落とし、停電・断水は日常茶飯事、政治も依然不安定でストライキがたびたび起こり、日常生活に支障をきたしています。それでも、明るくたくましいネパールの人々。
日本はネパールにはないものをたくさん持っているけれど、ネパールには日本では忘れ去られてしまったものが、まだ残っています。日本の皆さまからの温かい支援をネパールへ届け、ネパールの心温まるストーリーを皆さまへお届けできるよう、ネパール開発事業に精一杯取り組んでいきたいと思っています。
アフガニスタン事業担当
寺脇 麻衣(てらわき まい)
- 経歴
- 10代の頃から国際協力の現場で働きたいという強い思いを持っていましたが、2004-5年に在アフガニスタン日本大使館にて草の根無償資金協力案件に携わったことをきっかけに、特に緊急支援や紛争後復興支援に関わりたいと思うようになりました。イギリスの大学院で戦後復興について学び、国際NGOでリベリアおよびアメリカでのインターンを経て、2008年5月からADRA Japanに勤務。2年4ヶ月のスーダン駐在を終え、現在は東京事務所でスーダンやアフガニスタンの事業、東日本大震災の被災者支援など、緊急支援を中心に担当しています。
- メッセージ
- 新しい人や文化に出会うこと。世界中に「友達」や「家族」ができること。これが、私が仕事を続けるモチベーションとなっています。単なる「支援する側」と「支援を受ける側」という関係だと、越えることができない壁が必ずあります。どんなに努力しても、支援する側が支援を受ける側・支援を必要としている側の気持ちや状況を100%理解することはできません。
しかし、「友達」「家族」であれば、互いを思う気持ちや友情・愛情に国境はなく、壁を取っ払うことができると信じています。日本に帰ってきましたが、これまでに築いた「友達」や「家族」との関係を大切に、過ごしていきたいと思います。
スーダン事業担当
内田 順子(うちだ じゅんこ)
- 経歴
- 大学で法律を学んだ後、大学院で開発や国際政治全般を学びました。日本のNGOでのインターン、その後在スーダン日本大使館で草の根無償資金協力に関する業務に就き、スーダン各地を訪問し様々な事業に携わりました。コミュニティーやそれに向き合うNGOの人たちとともに過ごす中で、事業の実施に関わりたいと思い、NGOで働きたいと思うようになりました。
2009年4月よりADRA Japan現地駐在員としてスーダン・アッパーナイル州パガックに駐在しています。
- メッセージ
- 噂に聞いていたものすごい田舎、パガック。実際に来てみたら、私の田舎より人口は多く、農業で成り立つこの村ののんびりした雰囲気はどこか故郷を感じるものでした。しかし、日本とは圧倒的な発展の度合いに差があります。戦後間もないスーダン、人もモノもどういう風に変わっていくのか楽しみです。
電気もなく車もほとんど走っていない村なので人々はトヨタもパナソニックも知りません。でもADRA Japanのことは知っています。日本の皆様のご支援と思いやりを現地の人々に手渡す最終請負人であることの責任感を噛み締め、初心を忘れず、スーダンの人々ために貢献できるよう努めます。
スーダン事業担当
幸村 真希(こうむら まき)
- 経歴
- かつては日本の中学校で先生になろうと思っていた私。しかし、(日本の子どもを取り巻く環境にも様々な問題はあるにせよ、)世界にはもっともっと厳しい環境で生きている子どもたちがいることを知り、少し方向転換をして国際協力の道に進むことを決めました。その後、大阪大学大学院の国際公共政策研究科でアフリカの内戦と子ども兵について研究をし、フランス・ストラスブール大学では国際法などを学びました。在学中にインターンシップや調査で東ティモール・ウガンダ・スーダン南部を訪れて、将来にわたってこの仕事をしていきたいと確信しました。現在は、ADRA Japanでの勤務を通じて、日々勉強中です。
- メッセージ
- 私の夢は、世界中の子どもたちを笑顔にすることです。限りない可能性をもつ子どもたちが目標をもち、その実現に向けて自らの能力を発揮していく。そんな環境をつくることは、私たち大人の役割です。このような思いは、多くの人々に共感していただけるものではないでしょうか。どうか、地球の裏側にあるひとりひとりの命について、ADRAの活動について、関心をもち続けていただければ嬉しいです。
スーダン事業担当
鈴木 崇浩(すずき たかひろ)
- 経歴
- 小さい頃から国際協力の分野で働きたいと考えており、大学時代に訪れたカンボジアのプノンペン市にあるゴミ集積場で暮らす人々と接したことから、都市問題対策に貢献したいと思うようになる。大学院では都市計画を専攻し、コミュニティ参加や環境改善を中心とする“まちづくり”について学ぶ。その後、大学院で得た知識とスキルを活かし、国連ハビタットのインターンとして、ケニアで住民参加型スラムの地図作成やコミュニティ防災支援に携わる。2011年5月からADRA Japanのスーダン南部事業担当としてジュバに駐在。
- メッセージ
- 「人は城、人は石垣、人は堀」とは、かの戦国武将、武田信玄の言葉。豊かな国を作るためには、堅固な城を作るのではなく、人の力を育てなければならないという意味です。新しく誕生した南部スーダンにおいても、現地に住む一人ひとりの力を育むことが大事だと思っています。現地の人々の力を育て、彼ら自身による持続可能な“まちづくり”のお手伝いをしたいと思います。
南米事業担当
中野 佐知(なかの さち)
- 経歴
- 大学卒業後、シンガポールのNGOで青少年教育に携わる。その後JICAのボランティアとして2年間、ブラジルで日本語教育に従事する。帰国後、大学院に進学し、国際開発研究科にて教育開発を専攻。2008年4月よりADRA Japanで、中国四川大地震被災者支援事業、ペルー地震復興支援事業を担当。
- メッセージ
- ペルーと中国の地震被災者支援事業の担当となり、被災者の方々に残された震災の爪あとがいかに深いものであるかを知るようになりました。そして、同時に被災者の方々のたくましさも知りました。
日本の支援者のみなさまからは多くの暖かいご支援を頂き、現地では非常に喜んでいただきました。一口に「復興」といっても、その道のりは本当に長く難しいものですが、被災地の方々が自らの足で再び歩めるように手助けをするのがADRA Japanの復興支援です。
今後もみなさまの支援を確実に現地へ届け、被災者の方々の新しい生活をサポートするために励んでいきます。
ジンバブエ事業担当
石橋 和博(いしばし かずひろ)
- 経歴
- 小学生の時に高校生の姉と兄がADRA Japan海外ボランティアプロジェクトに参加していたのをきっかけに、自身も高校生時代に2回、ADRA Japan海外ボランティアプロジェクトに参加。三育短期大学英語コミュニケーション学科を卒業し、海外留学の夢をかなえるためオーストラリアにあるアボンデール大学付属英語学校に入学。2005年より同大学の国際協力学科及びマスコミュニケーション学科を専攻。在学中の2006年より長期休暇を利用して、ADRA Japanで事務局インターンとして活動。2008年に大学卒業後、ADRA Japanで勤務開始。ミャンマー・ジンバブエ・インドネシア・ハイチと4カ国の緊急支援事業に携わる。自ら撮影したジンバブエ被災者支援事業の映像を編集して「第1回ドキュメンタリー動画祭」に応募し、【優秀賞】を受賞。2児の父。
- メッセージ
- 「百聞は一見にしかず」といいます。高校時代にADRA Japanに関わって以来、
そのことを強く感じます。やはり人から聞いた情報と、現地に行って目で見て
確かめた情報では訴えかけてくるものが大きく違います。その差を埋めること
ができるように、現地からの写真やビデオなどで現地の状況をわかりやすく皆
様に伝えていけたらと思っています。
ジンバブエ事業担当
前田 恵梨子(まえだえりこ)
- 経歴
- 高校卒業後、アメリカの大学で国際関係学を専攻。在学中、一年間休学して中南米へ留学し、エクアドルの養護施設、NGOでのボランティアやペルーでの大学生活を通してこれらの国の現状や現地の市民団体の活動について知る。大学院では、国際平和学を専攻し、世界各国出身の同級生と共に国際紛争について学ぶ。卒業後、フィリピンの子どもを支援するNGOの開発教育担当・ボランティアコーディネーターとして、フィリピンの孤児院に駐在し、ストリートチルドレン自立支援施設の支援事業の立ち上げなどに携わる。2011年1月よりADRA Japanで緊急支援(ジンバブエ)を担当。
- メッセージ
- 新たな土地で新たな出会いの中で新しい事業に関わるとき、その出会いや困難、多くの学びへの期待に心が躍ると同時に、人々に寄り添うことの難しさや重みを心に感じます。ジンバブエの人々の平均寿命は47歳。私はすでに一生の半分以上を過ごしたことになります。そのような状況を知った今、一つ一つの出会いを大切に、与えられた一日一日を感謝の気持ちで歩みたいものです。支援してくださっている皆様のたくさんの思いを胸に、精一杯事業に取り組んでいきたいと思います。
国内事業、防災担当
渡辺 日出夫(わたなべ ひでお)
- 経歴
- 国立清水海上技術短期大学校卒業後、客船飛鳥のホテル部スタッフとして世界各地を巡る。1998~2001年、ADRA Japanスタッフとしてモンゴルストリートチルドレン、西インド地震被災者支援などの事業に携わる。2001年よりカナダに語学遊学し、帰国後は自然体験活動指導員などの資格も活かして、海外ボランティアなどの青少年育成事業に従事。2008年4月よりADRA Japanに復職し、国内事業を担当。(防災士、危険物取扱者、日赤救急法救急員、海上特殊無線技士、中型自動車免許など10資格以上を有する)
- メッセージ
- 高校生の時にヤップ島小学校の給水施設拡充のADRAボランティア・プロジェクトに参加しました。その後、学校では学ぶことのできない多くのことを計10回のADRAボランティア・プロジェクトを通して体験しました。それらの経験がなければ、今の自分はいません。
国内外で培った経験と様々な資格を活かして、皆様に多くのことをお伝えすることができると思っています。サンライズマンは「熱い想い」を皆様にお届けします!
国内事業、東日本大震災被災者支援事業担当
三原 千佳(みはら ちか)
- 経歴
- 大学では服飾を専攻し、パターン(製図)を中心に家政学全般を学ぶ。また、教員免許も取得。卒業後、JICAボランティアで2年間ジンバブエへ。女性支援をするNGOにおいて、主にHIV/エイズ啓発活動と現金収入向上を目指した活動に携わる。帰国後は中学校教師などを経て、2011年4月よりADRAスタッフとして宮城県山元町に駐在。2011年9月現在、応急仮設住宅支援を実施。
- メッセージ
- 経歴を見ると一見統一性がないようですが、私の中では全てつながっています。
他の被災地と同じく、山元町も今回の震災で甚大な被害を受けました。いつかは町を去る‘よそ者’であることを忘れず、住民の方に寄り添いながら社会福祉協議会と一緒に復興支援を進めていきます。復興支援はこれからが本番です。皆さまの温かいご支援をどうぞよろしくお願い致します。
国内事業、東日本大震災被災者支援事業担当
馬渕 純子(まぶち じゅんこ)
- 経歴
- 高校生の時にボランティアで訪れたタンザニアで、これまで自分の知っている生活とは全く違う環境で生きる同世代の若者との共同生活を通して、国際協力のあり方について考え始める。それからアメリカの大学で国際開発学を学び、当地の国際NGO勤務を経て、2003年よりADRA Japanに勤務。2004年のスマトラ沖地震・津波では緊急支援担当としてアンダマン・ニコバル諸島(インド領)に駐在。その後、ハーバード大学院にてかねてから興味のあった国際教育政策を学び、2007年より再びADRA Japanに戻り約1年間スーダン南部に駐在。帰還民支援に携わる。2008年にはUNICEF(国連児童基金)に就職し、教育専門家として南アフリカ事務所に駐在。3年間南アの教育政策の改善に努める。2011年11月よりADRA Japanに戻り、東日本大震災被災者支援事業を担当。
- メッセージ
- 2011年3月11日、地球の裏側のテレビに映し出された母国の映像に言葉を失いました。南アフリカという遠く離れた国にいて、何もできない自分にもどかしさを感じるのと同時に、遠くからでもできることはあると気づき、これまでADRA Japanで身に着けた初動力を活かして災害翌日に支援キャンペーンを立ち上げました。本当に多くの南ア人の方々に温かいご支援をいただき、日本が世界の人々にどれだけ愛されているかを改めて実感しました。私はこれまで日本の皆様の温かいご協力のもと、海外での支援活動をおこなってきました。そんな日本の皆様へ恩返をしたいとの思いから、この度またADRA Japanに戻り、東日本大震災の被災者支援を担当させていただくことになりました。日本での支援活動は初めてですが、これまでの経験を活かして少しでも皆様のお役にたてるよう頑張りたいと思っています。
国内事業、ファンドレイジング担当
山本 匡浩(やまもと まさひろ)
- 経歴
- 高校卒業後、消防士として2年間勤務。その後、大学、大学院へと進学し、家族・貧困問題を専攻。2008年からNPO活動に関わり始め、母子家庭の保育や生活相談に携わる。活動をする中で自立支援の難しさ、NPO運営の難しさを実感する。NPOの広報や資金調達の方法を学ぶためにADRA で3ヶ月のインターンを経験し、2011年3月よりADRA Japanで勤務開始。国内事業担当として、主に国内災害対応と資金調達に携わる。
- メッセージ
- ADRA Japanに入って4日目の2011年3月17日、東日本大震災の被災者支援のため、仙台市若林区の避難所で500食の炊き出しをしていました。新米スタッフとして右も左も分からない中、被災者の方やボランティアの皆さんとともに、試行錯誤しながら支援活動を行いました。
震災支援をしていて初めて気づいたことは、「当たり前の生活」がいかに多くの人の努力で支えられていたのかということ。お店が開いていない、道路も通れない、ガソリンもない、水もない、電気もない・・・。そんな状況で支援活動を行なっていると、人と人とのつながりが重要だと感じました。仙台での活動を通じて、近所の人、神戸など他の町から来たボランティアさん、地元の企業などが手を携え、困ったときにお互いが助け合う「つながり」の力を感じました。
ADRA Japanのスタッフとして、困っている人たちと支援者の皆さんの「つながり」を作り出していきたいと思います。
事業部
前川 龍太(まえかわ りゅうた)
- 経歴
- 高校生の頃から、困難な状況に置かれている人々の役に立つ仕事をしたいと思ってきました。大学では政治学とジェンダー・セクシュアリティ研究を専攻し、差別問題を中心に学びました。その中で、ADRA Japanでのインターンシップや海外でのボランティアに参加することによって、国際協力に強く惹かれるようになり、ADRA Japanで働かせて頂くことになりました。
- メッセージ
- 貧困といわれなき差別のために苦しみを抱えている人々が、未だに日本を含めて世界中に数多くいます。特に、抱えている問題が十分に認知されていないため、全く支援を受けられていない人々は、非常に厳しい状況に置かれています。ADRA Japanのミッション・ステートメントには、「人間としての尊厳の回復と維持」が謳われています。「人間としての尊厳」とは一体何を意味するのでしょうか?この言葉の意味を常に問い続け、これに立ち返りながら、苦しみの中にある人々の役に立てるよう精一杯励んでいきます。
管理部
財務部長、総務(広報)担当
渡辺 千里(わたなべ ちさと)
- 経歴
- 広島三育学院高等学校在学中より、ADRAのマレーシアでの井戸掘りやネパールでの建築プロジェクトに参加。大学在学中にも、ボランティア・プロジェクトに参加し、合計6回の海外ボランティアを経験。東海大学を卒業後、ADRAの支持母団体であるSDA教団青年部勤務。レクリエーション・インストラクター、キャンプ・ディレクターの資格を活用しながら、青少年団体のキャンプ企画やADRAのボランティア・プロジェクト、阪神・淡路大震災のボランティア派遣に従事。その後、出産・育児を経て、外務省NGO専門調査員としてADRAに勤務。
「NGOの広報」に関する報告書をまとめ、以後ADRAの広報を担当。広報業務に従事しつつ、独自に会計を学び、現在、ADRA Japanの財務部長およびADRA News、パンフレット、年次報告書などの作成をおこなっている。2児の母。
- メッセージ
- 現在は子育て中ということもあり、海外に行き、直接支援活動に携わることはありませんが、過去6回、海外ボランティアに行っていた頃の思いを今も忘れることはありません。数週間に渡る竹テントでの蚊帳&寝袋生活や、3日に1度のバケツシャワー。過酷な生活とは裏腹に、現地の人の素敵な笑顔に元気をもらい、自然の恵みを肌で感じ、すべての事に感謝することを学びました。
今、与えられている場所で、最善を尽くすということをモットーに、ADRAの健全な運営を目指し、またADRAの活動を分かりやすく伝えるべく日々邁進しています。
会計も広報も独学なため、至らないところも多々あるかと思います。是非、皆様からのご意見やご感想をお寄せ下さい。より良いものを作れるよう、努力していきたいと思います。
会計、支援者対応担当
永井温子(ながい あつこ)
- 経歴
- 大学は国際学部に通い、世界の国際関係、経済、文化等、幅広く学ぶ。学びの中で国際協力に関心をもち、在学中、スタディツアーやADRAコソボボランティアプロジェクトに参加。大学卒業後、JICA本部でのアルバイト、数か月間のADRAインターンを経験後、「3年、タイに行ってくれないか」というチャンスが舞い降り、JICAの開発パートナー事業(生ゴミを含む分別とリサイクルの実践)に携わる。プロジェクトマネジメント等を独学で学びながら、現地コーディネーターを精力的に勤める。帰国後、タイでの修行の成果を生かしつつ、もっと国際協力について学びたい、貢献したい、という思いを持って、私に国際協力の奥深さと意味深さを教えてくれたADRAの門をたたく。(コンコン)
ネパール事業全般を担当し、現地にて、簡易保健所建設、口唇口蓋裂医療チーム派遣、ナマステ基金、洪水被災者支援等の事業運営に突っ走り、その反動で(?)2008年に結婚、出産の波に乗る。子どもが1歳になったところで育児休暇を終え11月(今月)に職場復帰。現在は管理部で、会計の仕事を勉強中。
- メッセージ
- コソボで私を襲ったショックを思い出すと、今でも皮膚が緊張します。私が笑っていたとき、逃げまどい、殺された人がいた。飢えに苦しんだ人がいた。そしてそれは、残念ながら今この瞬間にも世界のどこかで起こっていること。この時代に日本に生まれた私は、もしかしたらそういうことに一切関心を払わずに、世界の見知らぬ人のために心を痛めることもなく、一生を終えることもできたかもしれません。でも、私はこの道を選びました。子どもを産んで初めて
わかったこともたくさんあります。途上国のお母さんや被災地のお母さんがどんなに大変な思いをして子どもを産み育てているか、それを考えると涙が出そうになります。私が大切な我が子を保育園に預けてまでする仕事はこの仕事です。謙虚に、でも胸を張っていたいと思います。
私たちの活動は、皆様の応援を頼りにしています。これからもご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたしします。
会計、支援者対応、認定NPO法人対応担当
芦田 望未(あしだのぞみ)
- 経歴
- 高校生の時にホームステイで訪れたアメリカ。かの国で一番衝撃を受けたのは国連本部で見たアフリカの子どもたちの写真です。それがきっかけで、大学では国際開発全般を学び、その中で特にマイクロクレジットに興味を持ったため、最初の仕事に銀行の個人融資を選びました。
結婚を機にシンガポール在住となったため退職、日本へ戻ってきたときに国連関係の財団法人で支援者対応の仕事に就きました。しかし、どうしてもアフリカへの夢が捨てきれず、イギリスの学校で勉強、そしてモザンビークでのNGOインターンを経て、2011年1月よりADRA Japanの管理部で働いています。
- メッセージ
- いつもお金にかかわる仕事をしています。
お金って不思議です。お金自体には価値はありません。ただの紙や金属です。皆がお金の価値を認めるから、お金がお金として使えるのです。お金はお金を生みます。お金を持っている人は、お金を貸すことにより利息を得る事ができます。また運用して利益を得る事もできます。
お金がない人は、必要な時にお金を借り、利息を払わなければなりません。借りたお金は返済しなければなりません。返済苦に陥る人もいます。世の中は金持ちがより金持ちになるように出来ています。貧困の中で生きている人は、最初の元手になる物がありません。だから貧しいままなのです。
私はそんな世界に疑問を持ち、世界の仕組みを少しでも変えたいと思ってADRA Japanで働いています。最後になりましたが、ADRA Japanにいつもあたたかいご支援を頂きまして、ありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。
2011.07.02更新
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